サロン・ド・クロノ分社

Harmony中国茶&SpiritualCareサロン 埋蔵LOG

自分を受け入れること

2011年09月26日 | 徒然

どれほどの屈辱を与えられてあなたはそこにそうしているのでしょうか?

あなたの正当な価値を認めることができずして、
なぜあなたはご自分の使命を全うすることができるのでしょうか?

あなた自身のこころからの欲求である、
自分自身を認めること、受け入れること・・・

このことを人に委ねるから、あなたは苦しくなるのです。

自分自身を認めてもらいたい、受け入れてもらいたいという思いのジレンマにはまってしまうのです。

これはすなわち心の蟻地獄です。

自分で自分を認める、受け入れるという自分の欲求を誰かに委ねることなく
自分自身に与えることができるはずです。

あなたはそれを誰かに与えてほしいとずっと心の奥で願ってきました。
しかしながらそれは叶えられません。

なぜならあなたは自分を認めてもらえるよう、周りの人に圧力をかけ、コントロールし、
そして自分の望んだものを人にわからせようとするからです。
そして与えてもらいたいのです。

人から与えてもらわなければ、愛を受け取れない・・・
この思い込みを持っている以上、
あなたの心は蝕まれ、そして孤独を選び、自分の使命からは遠ざかってしまうのです。

そして人から与えてもらわなければ・・・と思っている限り、
すべての領域の豊かさを放棄することになるのです。

ここまでお伝えした内容は大変厳しいものであると受け取られるかもしれません。
しかしながら あなたはたくさんの過去生においても、孤独を選び、
その孤独ゆえに自分自身の本当の望みを感じないように体中にブロックをしているのです。

あなたは愛を手にしようとすると、
その愛は形のあるものなのか?疑問に思うのですね。

そしてどれほどこの愛を切望していたとしても、
もしその愛が失われたなら再び孤独になってしまうという過去生からずっと持ち越してきた心の傷ゆえに、
失われた時の心の傷に耐えられるよう、愛を手にしている間中も安心することなく、
常に愛がなくなったときのことを想定して生きているのです。

そのような生き方であなたは愛とともにくつろぐことができるのでしょうか?

あなたは愛を手にすればするほど、
自分はこれほど愛されていい存在なのか?と疑問に思うのです。

それゆえ愛を切望していても、
愛を自分の想い通りにコントロールしたいのです。

自分の想定外の愛は、不安で仕方がないのです。

愛とは・・・
見えないものであり、形のないものです。

愛に形をあてはめることもできますが、
愛は形にはまりきらず 無理に形にはめようとすれば苦しくなるのです。

しかしながら 一度愛を手の平に乗せたなら、
その愛が飛んでいくことはないのです。

むしろ その愛を手でつかもうとすれば、愛は逃げていくのです。


その違いがわかりますか?

それは愛を愛そのままで受け入れることができるかどうかなのです。

自分自身をそのまま受け入れることができるとき
相手をそのまま受け入れることができます。
そしてそれは 愛をそのまま受け入れることになります。

 愛を手でつかもうとする行為は 愛の真理とは離れます。

愛は自由で、決してあなたの手からいなくなることがないのです。

愛がなくなったらどうしよう・・・という恐怖を選択するとき
愛は苦しく、重く、本来の愛の状態ではいられなくなるのです。

あなたの本来の使命は
愛そのものと一つである体験をし、それを分かち合うということです。

あなたがどれほど愛を欲しているのに、
自分に与えないようにしているのかを気づくことこそ
自分で自分を虐げてきた事実に気が付くことになるでしょう。



大天使 チャミュエル


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