サロン・ド・クロノ
サロン ドクロノ
サロンを死と再生を司る『 場 』として設定してから7年。
16年前
阪神淡路大震災が起きる前
龍が目覚めぬよう水戸で祈りを捧げ
そして震災の起きた後の3月
やはり春分の日をメキシコのマヤで迎えるために出発した時のことを
今でもまざまざと思い出す。
帰国する飛行機の中で知った地下鉄オウムサリン事件
その時のわたしには
17年先は永遠に思えるほど長かった。。。
それがもうあと一年・・・
そして
なにも意図せず水戸の開放ワークを行った2月22日
そして起こった東北関東大震災
「どこにも犠牲者はいない」
それをハラから認識するまでの今日。
本当は
その遥か以前から
わたしはずっと待っていたことも識っていた・・・
そしてやはりその前から設定されていたエジプトでの再会
わたしはこの再会をこそ
16年間待ち続けていたことも識っている
いや
待っていたのは
たぶんそんな刹那な時間ではないのだ
ほぼ8年間の情報断ちを経て
動き出してからの8年
すべてが符合する刻へと。。。
「 わたし 」という“ 個 ”というものが
もともと存在しないこと
概念さえ超え
すべては一つなのだとういこと
植物のつるが
触手を伸ばして空を彷徨いながら
やがて届いた先端が
そこからしっかりと巻きついて全体を引き上げてゆくように
誰か一人でもいい
意識がそこに届きさえすれば
あとは勝手にそこにつながってゆく
だから
わたしは最初から
すべてを与えられていることを識っていたし
すべては同軸に存在していることも識っていた
だからこそ
そんなのつまらない
と駄々をこねていたのかもしれない
特別と思うことでしか保っていられない
と思っていたことこさえ幻想であったことも
もはや今となってはどちらでもいい
自分は独りきりだ
と思っていたことも
自分は独りで歩んできた
と思ってきたことも
わたしをわたしのように解る人はない
と思っていたことも
すべてが今この時に繋がっている
わたしは未だなにをもわかってはいないし
わたしは未だなにをももってはいないのだ
だからこそ
わたしは自由
あのとき生まれた三男君も来年は15
誰かの為でなく
わたしは自分をこそ
解き放ちにいくのだ
『 はく 』 が自らの名前を思い出し
本来の姿に戻ったように
“ 解き放て ”