MacbookPro 2020を中古で購入しました。
インテル版ですが 13インチ 8GB 256GB . . . 本文を読む
中古ですが、dellのデスクトップパソコンを購入しました。4年前のパソコンですが、まあまあ気に入っています。m2.SSD 256GBも初めての体験ですが、結構速いです。色々アプリをインストールしたら残り70GBになってしまったので、さしおり512GBに変更したいのですが、やり方が分からないので、お預けです。 . . . 本文を読む
グーネットで3万字の制約が有るので、もっと書き込めるサイトを探していたら
Wordpressに行き当たりました。
なかなか、面白いサイトです。
費用がかかるのかなと思っていたら、全く無料で始められました。
取り掛かりが、難しくて三日目で、やっと使えるようになりました。
動画ファイルやPDFファイルをダウンロードしてもらう事も出来ます。
& . . . 本文を読む
もともとはアメリカセントルイスで1904年に開催されたセントルイス万国博覧会に展示されていたものであった[1]。それを日本の鉄道作業局(当時)が買い取り、鉄製の橋のモデル橋として1906年(明治39年)に現在地に架設したことが愛称の由来である。橋は1970年(昭和45年)に改築されている。
アメリカ橋 間質性肺炎とカラオケ カバー
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明石順三がアメリカに渡った動機などを調べていたら、脇道にそれて
同時代に、沢山の日本人が渡米していたことを知りました。
そして、彼らが、日本人のコミュニティを形成して、複雑に絡み合っていることを知り、興味深かったです。
そこで、学校では学ばなかった、幕末、明治のこぼれ話を少しずつ書いてみたいです。
参考にしたのは、無料で見れる国会図書館、Amazon &nb . . . 本文を読む
THE NARRATIYE OF A JAPANESE.
The narrative of a Japanese : what he has seen and the people he has met in the course of the last forty years / by Joseph Heco ; edited by James Murdoch. v.1.
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写真は、勝海舟の青い眼の孫たち『勝海舟の嫁 クララの明治日記』
勝海舟の嫁 クララの明治日記〈上〉 (中公文庫) 文庫 – 1996/5/1
https://www.amazon.co.jp/%E5%8B%9D%E6%B5%B7%E8%88%9F%E3%81%AE%E5%AB%81-%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%98%8E%E6%B2%B . . . 本文を読む
高橋是清自伝
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高橋是清自伝 - 国立国会図書館デジタルコレクション
国立国会図書館デジタルコレクションは、国立国会図書館で収集・保存しているデジタル資料を検索・閲覧できるサービスです。
私は最初自分の伝記を公刊するの考えは少しもなかった。ただ子孫に残すために、その概略を綴っておきたいと、数年前から暇を見ては、日記、手帳 . . . 本文を読む
第1回 蒲井からシアトルへ - ディスカバー・ニッケイ
蒲井 山口県の上関町蒲井(かみのせきちょう・かまい)は、瀬戸内海にある長島という細長い島の南側に位置する海辺の村だ。現在は上関大橋で本土と陸続きになっているが、1960年代までは本土との橋もなく、交通手段は船だけ。当時、家屋約100軒、人口約400人程度の寒村だった。 筆者の生家には、90歳を超えた「おじいさ . . . 本文を読む
サンフランシスコの人国管理事務所で入国手続きをする写真花嫁たち(1920年代)
海外移民の定着は、いかに彼らが結婚し家庭を持つかが、大きな要因となる。北米日本人移民とて例外ではない。1908(明治4)年の「日米神士協約」以前に、渡米した日本人移民の多くは、独身者かあるいは妻子を放郷に残してきた「単身渡米者」たちであった。明治末期、在米日本人約9万人のうち女性は約8500人(未婚の . . . 本文を読む
清沢冽・その人となり
清沢は、一八九〇(明治二三)年二月八日、長野県南安曇郡北穂高村青木花見(あおけみ)で、村長に推されるほどの裕福な農家の三男として出生した。一九○三年に一 三歳で北穂高村小学校を卒業し、従兄清沢巳末衛に奨められて、内村鑑三の弟子井口喜源治がひらいていた「研成義塾」に進み、そこでの言論、聖書の学習、清教徒的気風の中で、「信念 . . . 本文を読む
ロサンゼルス日系新聞社「羅府新報」で働く人たち
サンフランシスコ在住時代の明石順三(1889年明治22年7月生まれ)
一九〇八年二月、十八歳の明石順三はようやく渡航費の工面ができ、旅券もとれたので、日本郵船の五千トンあまりの貨客船丹後丸の三等船客として、アリューシャン諸島経由の大圏コースをとり、厳寒の季節の北太平洋を渡った。鼻をつくペンキの異臭と、もっそう飯に似たまずい食事と、なによりも寒さに . . . 本文を読む
小 河 內 碧 小 傅(1862年〜1908年)文久二年二月十六日山口縣岩國藩士岩井徳良の五男として生る。幼名を三助と云ひ長じて信之と名乗る。實兄たる二男邦人信義は小河內太兵衡信良の養子となり,岩國精義隊に屬し、慶應四年奧州に出陣、決死豫に入り、新田原の戰ひに敵塁へ切込み戰死を鞏げしを以て、更に太兵衛の懇望に依り碧は小河內の養子として入家す。明 . . . 本文を読む