もうすぐ、一年前のあの時刻を迎えます。
大きな揺れが二度襲い、仕事中の自分は、これはただ事ではないと感じました。
仕事を片付け、汚れた服も着替えずにキコへ。
他の団員の仲間もやって来て、それからは見回りや、倒れたブロック塀の片付け、夜には支援物資を佐原までとりに行き、開けてからは、朝から飯岡へ瓦礫の撤去に。
五日間消防団として、出ずっぱりでした。
その後も、瓦礫への放水活動、夜間の瓦礫置き場の見回りと、旭市の団員が一丸となってやってきた一年でした。
実際、地震のあった日から、妻と子供達を家に残しての消防団活動で、家内には不安な思いをさせました。
しかし、また、このような事が起き、自分が消防団を抜けていなければ、また、家族を残して現場へ行かなければなりません。
幸い、うちは男の子二人なので、お父さんが行ってしまったら、お母さんをたのむぞ、と、折りをみて伝えています。
地震が来ないことを祈るのみですが…
最後に、この震災で亡くなられた方々、行方不明の方々へ、黙祷を捧げたいと思います。
大きな揺れが二度襲い、仕事中の自分は、これはただ事ではないと感じました。
仕事を片付け、汚れた服も着替えずにキコへ。
他の団員の仲間もやって来て、それからは見回りや、倒れたブロック塀の片付け、夜には支援物資を佐原までとりに行き、開けてからは、朝から飯岡へ瓦礫の撤去に。
五日間消防団として、出ずっぱりでした。
その後も、瓦礫への放水活動、夜間の瓦礫置き場の見回りと、旭市の団員が一丸となってやってきた一年でした。
実際、地震のあった日から、妻と子供達を家に残しての消防団活動で、家内には不安な思いをさせました。
しかし、また、このような事が起き、自分が消防団を抜けていなければ、また、家族を残して現場へ行かなければなりません。
幸い、うちは男の子二人なので、お父さんが行ってしまったら、お母さんをたのむぞ、と、折りをみて伝えています。
地震が来ないことを祈るのみですが…
最後に、この震災で亡くなられた方々、行方不明の方々へ、黙祷を捧げたいと思います。