逢うが別れのはじめとは
知らぬ私じゃないけれど
昔の人はよく言ったものだ。歌謡曲や恋愛の世界では、歌詞が一世を風靡した「別れの磯千鳥」。
それは歌と男女の仲ばかりではなく、ほんとうは人生においてさまざまな部分によくでてくる「別れと出会い」。それをほとんどの人が最初に経験するのは幼稚園時代だと思う。そして次第に上の学校へと進んでいくたびに誰もが毎回実感として記憶に残していく。
桜が咲き、そして散っていくこの季節。
人が生きていくうえで、社会生活をしていくと大なり小なり誰もが実感として持たざるをえない。職場では退職する人、新しく入る人。そしてその数よりもはるかに異動という言葉で何度も味わった人もきっと多いことであろう。私も以前はそうであった。
が、近年そういうことが私はめっきり少なくなった。定年退職し、会社とも縁がなくなり、恋愛もせず、別れることも出会うことももう無縁となってきたからである。別れるといえば知人などが別の世界へ行く時くらいのもの。
それを5年前に感慨深く味わったことがある。
行きつけの病院での女医先生。前月に診てもらった時に何となくそれをうすうす感じたが、その年の4月からその先生の名前が皮膚科から消えていた。
水虫も帯状疱疹も治療していただき、アレルギーは一生付き合わなければならないかもなどと言われてはいたが、ほんとうに一生の付き合いになるのだろうか。この歌詞のようにアレルギーに別れは来ないのであろうか。
彼女は診療所をどこかの町で開業したのかななどと思ってみる。今となっては知ることもできないが、健康でますますのご発展を望む。それが3年半お世話になったただ一つの先生へのお礼だと今でも思っている。
「つれづれ(98)別れと出会いの季節」