
朝の新聞を見る。毎朝の日課なのだが、ここ数年ずいぶんとカタカナ語が増えてきたなと感じる。あっちカタカナこっちもカタカナ。聞きなれない言葉で、意味不明のことがある。前後の文章から判断しても無理なこともときどき。
20~30年くらい前と比較すると一目瞭然だ。それだけ世の中の文化が進んだのだからと言われれば、たしかにその通りだと思う。しかしほんとうに文化が進んだという時代の流れだけなのだろうか。
コロナ禍関連だけ考えてみてもその疑問は残る。ウイルス、クラスター、ロックダウン、東京アラート、ロードマップ、ステイホーム、テレワーク、エクモ、ゴーグル、オンライン、フェイスシールド、ソーシャルディスタンス、パーティション、GoToトラベル、イート、 他にも、プレミアムフライデー、マイナンバーカードなどなど これらのうち日本語で済むものはまったくないものかなど、ついよけいなことを考えてしまう。
私がオンラインという言葉を初めて耳にしたのは、 昭和40年代であった。当時私の勤める会社にまだ入社前の42~43年頃だったか。旅行業界として初めてコンピューターを導入したわが社が最初にそのオンラインという言葉を使ったのではないとは思うが、コンピューター電源を入れると「オンラインにします」というメッセージがまず最初に流れた。業務が終了し電源を切ると「オンラインを停止します」となった。
まだその頃はカタカナ語が少なかったので、このオンラインという文字がとても新鮮に映った記憶がある。コンピューター機器そのものを「デマンド」と呼んでいたこともはっきり覚えている。
それから50年近くの月日が流れた。
今やもうカタカナ語の数は想定外の速さで年々増加している。この先いったいどのくらいの数になるのか、そしてどのくらいの言葉が短命に終わるのかと思っている。
メールではわかりにくいと電話する切り終えたあと絵文字が届く 平成30年5月 「NHK短歌」6月号
「つれづれ(187)カタカナ語の氾濫とオンライン」