創立記念礼拝説教
「信仰に生きる」
竹前 治牧師
ヘブライ人への手紙 1章1-3節
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです」
愛する皆さん、私たちは清瀬信愛教会の創立記念礼拝を共に献げております。信仰の先達者がこの清瀬の地に福音を宣べ伝え、祈りをもって設立された教会であります。今朝は創立した時も、また、現在も、そして未来も決して変ることのない主の恵みに耳を傾けてまいりましょう。
ヘブライ書の著者は信仰について語り伝えています。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」と。信仰は「望んでいる事柄を確認」することだと言います。では、まず「望んでいる事柄」とはなにかと言うことです。それは神が望んでおられる事柄と言い換えることができます。ですから神が望んでおられる事柄を確信することであります。では、神が私たちに望んでおられる事柄とはなにか。それは神が成し遂げた救いのみ業、み恵みを受け入れ感謝し、神との関係を回復することだと言えます。さらにヘブライ書の著者は信仰について「見えない事実を確認」することでもあると言います。見えない事実、それは神が主イエスを通して明らかにされた神の恵み、赦しと救いを確認することであるというのです。つまり信仰とは自分の意志、力で造りだすものではなく、神が主イエスを通して示される神の恵み、そしてみ業を受け入れることであるといえるのです。
信愛教会は、もともとは信愛病院の中から産声をあげた教会です。この地に結核病棟を建て、そして信仰者はここに神の望んでおられる事柄、それはここに主イエスを信じる群れ、教会をつくるということでした。病院の中に教会の群れをつくることが神の望んでおられる事柄と信じ、祈りをもって神の恵みによって生まれたのです。そしてつねに神が望んでおられること、それはこの地、そして信愛報恩会に神の救いの恵みが現れ続けること、そしてその恵みの事実を信じて確信する者たちが神によって立たされることを信じ、信仰の先達者は祈り続けてきたのです。
これからも私たちはこの地で神の望まれる事柄を礼拝を通して確認し、まず、私たちがその恵みによって救われている事実を確認し、確信へと導かれ、その恵みに生きていく者でありたい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます