お疲れ様です!
みなさん今日もいかがお過ごしでしょうか?
私は今日も就労移行支援事業所に行き履歴書や職務経歴書作りをしました。
職員のスタッフとダイアローグもしました。
毎日誰か職員と話すことで、自分の気持ちを発信することをしています。それにより気持ちに整理ができたり、主張する大切さも学んでいますが、
人は何でも思ったことを口にすれば良いということはありません。
人を傷つける言葉は絶対言ってはいけないと思っています。
私自身も、できるだけ人を傷つける言葉は言わないようにしているのですが、私の何気ない悪意のない言葉に、揚げ足をとる人もいるわけです。そのような人ともはじめは仲良くなりたいと願いましたし、理解し合いたいと思うのですが、
その方は、私の言葉を、歪んだ受け取り方をして、自分の思考が1番正しいと思っているものですから、私の意見を尊重することなく、攻撃してきたのです。それは、善悪をはっきりさせたいと言わんばかりでした。
その人との交流は長く続きました。その中で、人を面倒くさく思いました。コミュニケーションが不快なもので私を人間不信にもさせました。
しかし、私の出会った人の中には人の言葉を尊重して受け入れてた上で意見交換をすることに長けている方もいて、そのような脳力が高い方と話すと、自分も気持ちよくなれました。自分が気持ちよくなるだけではなく、相手の意見を聞けるとき喜びであり、新鮮であり、また私の成長に繋がるのです。
自分の気持ちを言葉にすることができること。は大切かもしれませんが、相手の言葉を尊重することができる。これも大切なコミュニケーションと思っています。
根本的には、思いやりが大切なのではないかとも感じます。『愛』のあるなしは、コミュニケーションには大切なのではと思うのです。
なら、苦手な人の憎い人、嫌いな人、そのような人ともコミュニケーションを取る必要があるのか?と疑問に思います。
『愛』というのは、好き嫌いに関係なく思いやれるものなのか?ということを時々考えます。
私は、みんなと仲良くなりたいし、みんなに好かれたいと思う気持ちもあるのですが、最近すこしずつ、自分を不快にさせたり、自分のエネルギーを奪い取る人、利用しようと企む人をできるだけ避けています。
そのような方と関わったり、することが、私には時間の無駄に思うのです。
>相手の言葉を尊重することができる。これも大切なコミュニケーションと思っています。
同感です。
人の足を引っ張ろうとする人の相手などしなくてよいと思います。世の中には人を貶めることしか考えていない人がいることも確かだと思います。
水仙さんは私より遥かに人生経験もあり、人を沢山見てきたので、同感を得られたことは、私は的をついていることを言っているのかもしれません。
世の中には、そのような悪意あるひとがいるのは確かなのですね。そういう人に出会ったとき必要なことはなんでしょうね。相手にしないことでしょうか、、。人間は良い人もいますが、悪意のある人もいるのですね。その悪意の人も、善の気持ちがあるのでしょうか。人間は、複雑ですね。
納得です。余程強い人でない限り相手にしないことが大切だと私も思いました。
水仙さんは、性格的に相手にしないということができないのですね。それは苦しいと思います。
イエスキリストは、殺されましたが、善の中で亡くなりましたから、神様が因果応報を与えました。神様が見てくれていたらいいですが、イエスキリストのような重荷を背負うことは私にはできません。