数々雑感

竹林楽々

蘆花(恒春)園へ行く

2019-11-25 11:42:38 | 日記
百草園で落胆したので帰途、芦花公園に寄った。
永年の望みでもあった。徳富蘇峰(兄)と蘆花(弟)は熊本県水俣市生まれ、長じて同志社大学入学.
自然主義、博愛主義の文学者として知られ、蘆花と愛子婦人の住まいが芦花公園です。
武蔵野の茂った森の中に旧家と墓地と記念館がある。広大な敷地の一部は芝生化され市民憩いの場
となっていた。明治、大正の文豪 蘆花は、トルストイ(戦争と平和:作)を私淑しロシアで
共に過ごしたらしい。国木田独歩(武蔵野:作)や与謝野鉄幹夫妻とも親しかったようだ。
代表作は(不如帰)ホトトギスで(自然と人生、みみずのたわごと)など多い。
ロシアのバルチック艦隊を打ち破り、国中が沸き立っていた時期を背景にしたホトトギスは、武男と浪子の
悲恋話でよく知られていた。手まり歌(お手玉のひとつ)にも、よく唄われたらしい。家内も少女の頃に
唄って遊んだそうだ。
一番はじめは一の宮、二または日光中禅寺・・・十で東京心願寺
これほど心願かけたのに  浪子の病気は治らない  ごうごうごうと鳴る汽車は
武男と浪子の別れ汽車  二度と逢えない 汽車の窓  
鳴いて血を吐くホトトギス・・・・・
これはその一節だが、白米入りのお手玉で遊べるのはかなり裕福であったらしい。
公園にゆく道すがら蘆花の公園と地元の人に尋ねたが殆どが蘆花のことを知らなかったようだ。
正に、明治は 遠く、なりにけり !
なにしろ、私の親父の若い頃の話ですからね!
クリスチャンと文学は私には、関心事なので、ここを訪ねてよかったと思った。
百草園と芦花公園の散策で 18800歩でした。少し疲れたが、機嫌よく帰宅。

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京王百草園(もぐさえん)に行く

2019-11-23 12:57:07 | 日記
晴れた日に新宿から私鉄で百草園に行く。
野猿峠のある高幡不動駅の一つ手前で下車。徒歩20分くらいとの案内に気を良くして出発。
ところが、45度位の急傾斜でS字に曲がりくねった登り坂だ!自動車もウナリ声で登っていく!
恐らくLOWアクセルで目一杯ふかしての走行でしょう!そこをテクテク登った!
通りに面して小さな家が一杯だ。途中休み休みして、ようやく園の入り口に来た!
園内も急勾配の杣道!もみじ葉はほんの2本くらい。園内の家には、昔の遊び道具が置いてあった。
ビー玉、独楽、ケン玉など。コーヒーを入れる手順書の張り紙はあるが、なんの愛想もない?
普通、庭園には有料でも、茶菓のおもてなしがあるものだ。
へとへとで登ってきたのに、なんと無愛想なのだ?あきれてそうそうに退園した。
大文豪の文句を思い出してモジッテみた。「坂道を下りながら考えた!凍った下り坂を行くのは難儀だ。
駅まで急ぐに、すべって、ころんで怪我せぬか?ほんに人の世は住ずらい。」
今まで数多くの庭園に行ったが、斯様に無愛想は初めて!

水害対策

2019-11-19 21:07:21 | 日記
先月はあまり遠くもない所で、堤防が決壊して
養護施設のお年寄りが、大変な被災をされましたが、住まいのあたりは武蔵野台地の高台なので
幸いにも無害でした。以前からこの辺は風水害もなく、穏やかな地形です。
その代わり、水の便利さが低く、水田はありません。農作物もさつまいも位です。でも少し離れると
周りの市では河川氾濫はよくあります。そこで近市の様子を見に出かけました。
江戸時代は埼玉県でもこのあたりは東京湾の一部であったそうで、貝塚公園はその名残です。
今年、大学生になった孫娘が小学の頃、よく遊びにきたもんです。今は隣市の憩いの場です。
その公園を長く下り降りると、荒川土手まで水田がある様です。
新潟県の豊かな水田に比べると何となく荒れた様に見えましたが、「彩の国:彩のかがやき」銘柄の
水田が少しありました。往復17000歩の散策でした。荒川土手よりはるか手前の「川越富士見有料道路」
までの散策。
 

我が家の摩訶不思議現象!

2019-11-04 23:12:21 | 日記

 先月のある夜明け頃、のどの渇きでふと目覚めたら隣のリビングにある固定電話のディスプレイから
天井まで光の塔がそそり立って光っていた。驚いて家内を起こそうとしたが熟睡してたので止めた。
少ししたら「点検終わりました。異常はありません!」の音声があり、すぐに光の塔は消えた!
あまりのことに考えこんだが、まだ早いのでそのまま寝込んだ。
翌朝、家内に話すと「寝ぼけたのでは?」と一執された。数日後、娘の家族がきたので、それを話したが、
誰も信じなかった。皆で私の寝ぼけだと言う。 絶対真実だ!と主張しても笑って取り合わない。
よほどNTTに報告して聞こうかと思ったが、他人にまで寝ぼけ扱いされては癪なので黙っていた。
 でも世の中にそんな不思議がひとつ位あるのでは?と思う。寝ぼける年ではない!
 写真で証拠が撮れる長い時間はなかった。残念!