今日はなぜだかとても体調が良いと思います。緑内障のほうも大丈夫だと思います。自分が緑内障になった時は、19歳の冬ちょうど今頃だったんですけど、福島市内の郵便局にアルバイトとして勤務しているときにある日、「あれ?目の前が霞んでいる。かなりおかしいな。まさか、(緑)か(白)かな?)と思ったんです。
何故かと言うと、今から23年前に亡くなった自分の祖父母が言っていたんですけど、「目が怪しくなった時は、(緑内障)もしくは(白内障)を疑ってくれ」とよく言っていたんです。だからまさかと思いました
当時の郵便局の上司に相談しました。上司は医療業界出身の人で看護師の資格を持っている人でした。
上司に言われたことなんですが、「なるほど… 99.9%緑内障だと思います。うちでの勤務はもういいからとにかく急いで病院に行ってください。急がないと大変なことになりますよ」と言われ、実家に飛び帰り親に説明しました。
その時の父親の言葉がいまだに忘れられません。なんて言ったと思いますか?
「そんなの、寝ていれば治る」ですよ。「は?何考えてんのこの人? 一大事と言うのに寝ていれば治るって言う事はということなの」と思ったことがありました。
医療事務を経験した母親が、「これはちょっと違うんじゃないか」とすぐに福島駅前の個人の眼科の病院に連れて行ってくれたことが思い出に残っています。
個人の眼科医医院で、眼圧検査、眼底検査、視力検査などをしたんですが、そこの先生に言われたことなんですけど「あまりにも値が高すぎて、うちじゃ見れません。私の医学部時代の親友が、福島県立医科大学附属病院高度救命救急センターに医局長として在籍していますので、彼に連絡を取りましょう。彼なら何とかしてくれるはずです」と言われ、父親が運転する車で福島県立医科大学附属病院に向かいました。
その時が自分と福島医大の(!?)、運命的な出会いになるとは知らず。
父親の車で、福島医大に着き、緊急検査をしたところ「よく間に合いましたね。あと10分遅ければ両方とも完全に失明しましたよ。あんまりにも値が高すぎて、大変なことになるところでした。緑内障で間違いないでしょう。緊急的に眼圧を下げる点滴を行いますので、2時間ほどかかりますので、廊下でお待ちください」と言われたことが今でも頭に残っています。
そこから翌年の正月三箇日明けまで福島医大に通いました。またその月からまずは9年間福島医大の眼科にお世話になりました。
最初の眼科から帰ったのは、夜の8時ごろでした。テレビを見たら、女子フィギアスケートの大会の放送をやっていて、今は引退されましたが、浅田真央さんや安藤美姫さんなどがまだ現役で滑っている時代でした。
眼科では、9年間まずお世話になり、3年間、福島市の済生会福島総合病院に行き、3ヶ月福島医大に戻り、結局今は済生会福島総合病院にお世話になっています。
これは決してSF作品とかではありません。自分の事実を書いたものであります。緑内障は、絶対に軽く見ないでください。甘く見ないでください。大変なことになりますから。