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私にのこされた使命(まったくの言葉だけです)父の弟になる叔父を無事送ること、その時が突然やって来ました。(暮から体調悪い日、何度かあり)
幸い、従弟妹みんなに最後を見守って貰いました。
その従弟妹たちの言葉が、タイトルです。
あんなふうに逝きたい。
静かに静かにすーっと旅立ちました。
わたしは立ち会えなかったけれど、叔父の顔が証明してくれました。
告別式も極々少人数の家族葬でした。
あたたかい笑顔さえ出たお別れは、みんなも満足げで、叔父には何よりの手向けだったろうかと思います。
友人に話したら、やはり年代的に、今度は自分の番と重ねて考えるようです!?
こうやって、教わることになるんですね。。
母が亡くなり空き家になってから15年の我が家、傷みも始まっていますが、何となくまだ生きているように思えます。
お悔やみを申し上げ、併せて心からご冥福をお祈りいたします。
もうかなりのお歳でしょうし、皆様に見守られ、眠るように…、私もそんな風に逝けたらいいなと思います。
皆さん、納得をしてお送りできた…、日頃のお世話が足りているからそんな気持ちになるんでしょうね。
こういう記事載せていいのか?迷いましたが、実家の庭のツバキが、空き家なのに綺麗に思えて、残しておきたくなりました。
私は何にも出来ないジレンマばかり感じていましたが、いつもやさしい血の繋がった親戚に、感謝を込めて~。
やはり、自分の最後も範疇に入って来ました
心よりお悔やみ申し上げます。
我々の周りでもだんだんとそんな話題が出てくるようになりましたよ。
やはり、自分の時は?と考えます。
お変わりありませんか?
朝からコメントありがとうございます。
お別れの儀式、年を重ねた最近は受け止めかたに変化があるかもしれませんね!?
たくさんのことを、教えてくれるように思います。
一日一日を大切に生きたいですね♪く