
BPA(パーソナル・アシスタント制度)の映画を途中まで観た。
体が動かず、電動車椅子に乗る若い二人が
施設を出て、自分でアシスタントを雇い
自立した生活を歩む中での喜びや葛藤を描いたもの
BPAについて学ぶも、いまいちその画期的さが
実感としてなかったけど
この映画のおかげで、なんとなくわかった気がした。
↓スウェーデンのだけど、わかりやすいBPA制度についての説明
http://clubeko.jp/index.php?option=com_content&view=article&id=105:personal-assistant&catid=47:2008-08-31-15-16-03&Itemid=68
とくに、知能はあるのにうまくしゃべれない電動車椅子の人が
自分の発する声(うめき声みたいなもの)を理解してくれる人を得て
すごく驚きながらも喜ぶ顔はすごく印象的だった。
このクラスの担当教師は2人いて
一人が日本人なんだけど
もう一人は何か麻痺があるらしく電動車椅子で、
デン語ってことを差し引いても
何を言っているのかまったくわからない
けど、その人もPAを何人か雇っていて
PAが先生の言うことを英語に直し授業が行われ
PAの運転する車で施設見学なども行く
まだ2回しか接してなくて、戸惑うことのが多いけど
こうやって教師として何年もやってる人なんだと思うと面白い
クラスには高次脳機能障害の人もいて
たまに話すのだけど
「日本で、障がい者になってしまってから
これまで通りの普通の友達がやってることがすごくやりたい放題にみえて
障がいをもってる人たちは、私のであった範囲では
すごく前向きに地道な努力をしてるんだけど
なんというか、自分を抑えているというのか
表現しにくいんだけど、すごく違うの」
「私も、障がい者なんだから
もっとおとなしく、施設とかでゆっくり暮らさなきゃいけないのかなと
思うときもある」
「障がいがあっても、心地よく生きていける場所を、、
ゆくゆくは健常者とも交流できるコミュニティ作りたいんだ」
パッと見、普通の若い女性なんだけど
事故の後遺症で脳に損傷があり、考えがまとまらず
少し失語に似てるのだけど自分の思ったことを発言することも難しいらしい。
そして、彼女いわく、
以前だったら自分の意見をいえてたと言う感覚は残っているのに
いざ、話はじめるとわからなくなる
(それでも事前準備できることは準備して話せることも増えてきたらしい)
でも、周りからすると「訳わからない子」ってなってたり
「きちんとしゃべれ」ってイラつかれているのはわかるから悔しいし
やはり、哀しい
同室のリハビリ科の医者いわく、
若い人で、中途障害もつと、、
障がいを受け入れられない人も多いから
うつを発症したり
自殺してしまう人もある、、
どう社会に戻っていくのか、そこが課題だね
個人の見出す幸福で、多かれ少なかれ
人類全体の方向を持たないものはない
ホウプ『人間論』(上田勤訳)より
ここ最近、比較的ずっと一緒にいて土日はずっと飲みの場にもいた人が寝込んだ。
彼は大きな手術をしており、そのとき肝臓が悪くなっていて
そんなお酒を飲んではいけなかったようだ
飲みの場にいるとはいえ
多くはペプシを飲んでるなあとは思っていたけど
そうだったのか。。
彼は「すっごい楽しい」ってよく呟くから、一緒にいて居心地がいい
でも、一方で「俺の病気の前例からすると
10年後に生きてる確率は○%なんだ」と早々の衝撃告白
その上で「それ知って、普通に接してくれるのが嬉しい」
なんと返してよいのか、、、
個人的に仲良くなるほどに、尊敬する部分がすごくあって
長く生きててほしいってのと
よし、一緒に今この瞬間を楽しもうよってなノリと
怒涛の1ヶ月が終わり、2ヶ月目はどんな話をするのだろう。
そして、6ヶ月終わったら、、どんな形になるのだろう
ゆったりした時間割の中で
今、こうしていろんな人と話す機会があり
ひとつひとつがすごく貴重で
時間よとまれって感じではないんだけど、
居心地のよい今の状態を
自分自身でも作り出していけたらと思う。
日本で参加したことないけど、
バレンタインの行事がここデンにはないので
クッキー作って各々のグループメンバーに渡そうよってなった。
素直に、やりたいと思った。
少しずつ、少しずつ。
体が動かず、電動車椅子に乗る若い二人が
施設を出て、自分でアシスタントを雇い
自立した生活を歩む中での喜びや葛藤を描いたもの
BPAについて学ぶも、いまいちその画期的さが
実感としてなかったけど
この映画のおかげで、なんとなくわかった気がした。
↓スウェーデンのだけど、わかりやすいBPA制度についての説明
http://clubeko.jp/index.php?option=com_content&view=article&id=105:personal-assistant&catid=47:2008-08-31-15-16-03&Itemid=68
とくに、知能はあるのにうまくしゃべれない電動車椅子の人が
自分の発する声(うめき声みたいなもの)を理解してくれる人を得て
すごく驚きながらも喜ぶ顔はすごく印象的だった。
このクラスの担当教師は2人いて
一人が日本人なんだけど
もう一人は何か麻痺があるらしく電動車椅子で、
デン語ってことを差し引いても
何を言っているのかまったくわからない
けど、その人もPAを何人か雇っていて
PAが先生の言うことを英語に直し授業が行われ
PAの運転する車で施設見学なども行く
まだ2回しか接してなくて、戸惑うことのが多いけど
こうやって教師として何年もやってる人なんだと思うと面白い
クラスには高次脳機能障害の人もいて
たまに話すのだけど
「日本で、障がい者になってしまってから
これまで通りの普通の友達がやってることがすごくやりたい放題にみえて
障がいをもってる人たちは、私のであった範囲では
すごく前向きに地道な努力をしてるんだけど
なんというか、自分を抑えているというのか
表現しにくいんだけど、すごく違うの」
「私も、障がい者なんだから
もっとおとなしく、施設とかでゆっくり暮らさなきゃいけないのかなと
思うときもある」
「障がいがあっても、心地よく生きていける場所を、、
ゆくゆくは健常者とも交流できるコミュニティ作りたいんだ」
パッと見、普通の若い女性なんだけど
事故の後遺症で脳に損傷があり、考えがまとまらず
少し失語に似てるのだけど自分の思ったことを発言することも難しいらしい。
そして、彼女いわく、
以前だったら自分の意見をいえてたと言う感覚は残っているのに
いざ、話はじめるとわからなくなる
(それでも事前準備できることは準備して話せることも増えてきたらしい)
でも、周りからすると「訳わからない子」ってなってたり
「きちんとしゃべれ」ってイラつかれているのはわかるから悔しいし
やはり、哀しい
同室のリハビリ科の医者いわく、
若い人で、中途障害もつと、、
障がいを受け入れられない人も多いから
うつを発症したり
自殺してしまう人もある、、
どう社会に戻っていくのか、そこが課題だね
個人の見出す幸福で、多かれ少なかれ
人類全体の方向を持たないものはない
ホウプ『人間論』(上田勤訳)より
ここ最近、比較的ずっと一緒にいて土日はずっと飲みの場にもいた人が寝込んだ。
彼は大きな手術をしており、そのとき肝臓が悪くなっていて
そんなお酒を飲んではいけなかったようだ
飲みの場にいるとはいえ
多くはペプシを飲んでるなあとは思っていたけど
そうだったのか。。
彼は「すっごい楽しい」ってよく呟くから、一緒にいて居心地がいい
でも、一方で「俺の病気の前例からすると
10年後に生きてる確率は○%なんだ」と早々の衝撃告白
その上で「それ知って、普通に接してくれるのが嬉しい」
なんと返してよいのか、、、
個人的に仲良くなるほどに、尊敬する部分がすごくあって
長く生きててほしいってのと
よし、一緒に今この瞬間を楽しもうよってなノリと
怒涛の1ヶ月が終わり、2ヶ月目はどんな話をするのだろう。
そして、6ヶ月終わったら、、どんな形になるのだろう
ゆったりした時間割の中で
今、こうしていろんな人と話す機会があり
ひとつひとつがすごく貴重で
時間よとまれって感じではないんだけど、
居心地のよい今の状態を
自分自身でも作り出していけたらと思う。
日本で参加したことないけど、
バレンタインの行事がここデンにはないので
クッキー作って各々のグループメンバーに渡そうよってなった。
素直に、やりたいと思った。
少しずつ、少しずつ。
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