ダブル介護の憂鬱

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2024-05-21 20:31:50 | 日記
今日は、母の大動脈瘤手術の執刀予定の先生の診察。診察というより、手術を受ける意思が本当にあるか否か、確認する必要性があり設定された面談?

これまでの経緯をざっと振り返ると
2022年1月に急性大動脈解離で緊急手術後、経過観察中でありましたが
2024年2月の定期受診で動脈瘤が大ききなっていることが発覚。
外来受診したT先生(ハキハキした女性の先生)に、手術を提案されました。
「高齢の患者さんに手術を提案するかどうかは判断が難しいところだけど、あなたは歩いて診察室に入ってきたから。
車椅子の人には、手術の話はしない。」
母は手術と聞いてギョッとしていたけれど
「いつ破裂してもおかしくない状況。手術を受けなければその状況はずっと変わらない。」
手術は怖いですと言う母に「手術の適用ではあるから。取り敢えず、私は次にCTの検査予約をいれておきますが、どうする?」
ああ、じゃあお願いします。
それまでによく考えてきて、、、ということで診察室を辞したのです。
実は翌日から老健に入所することになっており、このタイミングで?? と一瞬頭の中が真っ白に。
老健の相談員さんに、「取り敢えず1ヶ月入所した後、退所して通院してください」と言われます。(通院のために、入所からショートステイに切り替えて対応してもらいました。)
入所中に母が老健でコロナ感染(自覚症状はなし)して検査日程が延びてしまい、結局、CT検査を受けに行ったのは、4月3日。
この時も検査前にT先生の診察があり、母は「手術は怖いです」と言っていたのですが、取り敢えず検査の結果を聞きにくる日を予約して帰りました。
取り敢えず、ばかりですね。

この段階で私は、手術を受けることはないな、、、と感じていました。
初めのうちは、心配は取り除いた方がいいから手術したら? と薦めていたのですが、そう単純な話でもないのかなと。
ネットで調べたり、知人に話したりして、手術を受けない選択をする人もいることがわかった。
それなりのリスクも考えられ、母が怖がっているのなら、母の気持ちを尊重しよう。母の身体で母の人生なのだから、母に決めてもらおう。
このように私の気持ちも変わっていったのでした。

そうそう、4月3日の診察室に話を少しだけ戻しますが、
「今度の予約は4月25日に入れます」とT先生。
あれ? いつもの曜日ではないぞ?
なぜですか? と尋ねたら
「部長の診察を受けてほしい。上の判断を仰ぎたいから」とのことでした。


さて4月25日、母は「手術を受けません」と言いに行くものだとばかり思っていました。
ところが、、、
前日に「もう少し生きたい。孫たちの成長も見てみたい。そのために手術を受けます」と宣言。
ビックリしました。悪く言えばちゃぶ台返しか、青天の霹靂か?
いやいや、前向きな母の気持ちをそんなふうに思うなんて、私はなんてやつなんだ!
切り替えて、全面応援することにしました。

25日、部長の先生は、母の決意を聞いて大きくうなずき、「前向きなのはいいことです。その気持ちを大事にして頑張りましょう。」と優しく温かく力強く言ってくださいました。

5月3日、検査入院のための検査を受けます。
この日、印象に残ったのは、採血検査にひどく手間取ったこと。結局、看護師さんが入れ替わり立ち替わり試みるも腕からは採血できず、足の付け根の動脈から採血しなければなりませんでした。大丈夫か?

5月10日、検査入院
5月13日、カテーテル検査。
検査を担当してくださった若い男性の内科医は、これまでの先生とちょっと違いました。
母の年齢、体力なさそうな様子を大変気にされ、カテーテル検査そのものも、通常よりも難しいものになったと話されました。
手術については、危険を伴うことを理解されたい、、、と言った主旨の話でした。
ワカモノ言葉で言うなら
この状態で、手術するの? マジで?
もちろんそんなふうには言われなかったけれども、感じました。

数日後、病棟の看護師さんから電話。
検査入院前のサポート面談の時と同じ人でしたが、こちらもかなりトーンダウンしているような声。
「手術の可否について検討会議が開かれ、その結果もう一度、診察に来ていただくことになりました。今度はY先生です。」
Y先生、初めて聴くお名前です。「なぜ、Y先生に?」
「手術をされる先生です。」
「リスクが大きいことを説明したい。それと、最初は手術をためらわれていたとT先生からのお話もあり、お気持ちに揺れがあるのかなと。実際に手術をされることになるY先生が、お会いしてお気持ちを確認したいと言っています。」
明らか、向こうもトーンダウンしているよね。

そして迎えた今日。
Y先生より
まず手術のリスクについて。
かなり難しい手術であること。
その理由は
一度手術して開いた部分なので癒着があり、それを剥がすところから始める難しさ。
加えて、前の手術よりもさらに奥の部分であることの難しさ。

「先生、その手術で生きて帰れる確率はどのくらいなんですか?」
「手術室からは生きて帰って来れる。高い確率で。ただ、その後」
手術によって受けたダメージから回復できるかどうか。
手術中心臓を止めており、その間、身体は低体温になっている。
脳の血管もいじるので、脳梗塞になるリスクも考えられる。
酸素マスクをつけることになるが、結局そのまま外せなくなることもある。
術後、前より元気になって、、とイメージよりも
血管の手術は成功しても寝たきりになるリスクあり。

聞いていて、この先生は誠実で正直な人だなと思った。

「患者さんが50代や60代なら、迷わず手術を薦めるが、このような高齢の患者さんの手術の例は稀。
このレベルの手術は、他の病院なら断ると思います。
どうしても手術を望まれるならば全力を尽くすが、自分としては、すすめられない。
今回は患者さんとご家族が手術を強く希望されていると聞いたので、、、」

ちょっと待って。それは違う。
「最初に提案してくださったのはT先生です。
T先生は、手術を受けることに肯定的だったようにお見受けしました。続く部長先生も応援してくださいました。先生によって温度差があるような気がします。」
「ああ、T先生は外来の先生で手術に入られることはないから。実際に手術を受けて寝たきりになった人を見たことがないと思います。」
そ、そうなの?
「ただ、、、
確かに、この50ミリを超える瘤は、手術適用です。T先生の適用という判断は間違っていません。」
あー、そういうこと、、、

「で、どうされますか?」

「生きていたいので手術は受けません」と母は答えました。
もしかしたら死ぬかもしれなくて、生還しても寝たきりになるかもしれない手術を受けたいとは思わないよね。
あくまで、母の場合、ですけど。
もっと健康な人なら、別の提案があったのでしょう。

ベストはないが、ベターな選択で。
そういうこと。

今後は、経過観察ということで、10月にCTの予約を取って帰った来ました。
10月まで、無事に過ごせますように。思わず心の中で祈りました。

長かった1日が終わりました。
2月から今日までの、長かった日々も、一応、一区切り。

血管は大事だよ。
私、気をつけよう。
血圧高い時あるし、コレステロールは黄色信号だし。
明日から、甘いものやめるか?











どうする?

2024-05-20 19:25:01 | 日記
「もうここには住めないわね。」
最近、母が言い出した台詞、何度も何度も繰り返してる台詞。

「ここ」とは自宅のこと。
それまでは、「ここが私の家です。どこにも行きません。施設には、行きません。」と断言していたのですが。
転機となったのは、先日の父との面会でしょう。左半身麻痺の父の姿を見て、父が自宅に帰るのは困難だと悟ったようです。
母にとって家で過ごすということは、父と家で過ごすこと。それも、たぶん父に身の回りの細々とした世話をしてもらいながら過ごすこと。一人で自宅で、介護サービスを受けながら暮らすという考えは皆無らしい。なるほど、そうだったのか。
今日も、明日病院に行くために一時帰宅をしているのですが、「お母さん、お薬飲んでね」と言えば、「面倒だわね。施設にいれば、すっと(薬が)出てくるのに。」と。私も声掛けしてるけどね。すっとは出してないか、、、
「お母さん、この家で、介護の人に手伝ってもらいながら一人で暮らすのはどうなの?」と聞いたら、
「他人が家に入ってくるのは気を使うわ。きれいにしなきゃならないでしょ。」
介護サービスを受けるのにきれいにしてスタンバイするって、変だよ?
「いっそ自分が向こうに行って、丸投げの方がいいわ。」
えっ、丸投げ? それはまた、極端ですね。
「ところで明日は、どこへ行くの?」
「S病院。お母さんの手術を担当する先生との面談よ。だから今日帰ってきたんじゃないの。」(こういう言い方、まずいんだっけ?)
「こういうのがわからなくなるから、施設に行っちゃおうと思うの。あっち行ったりこっち行ったり、わからなくなっちゃうから。」
父が老老介護をしている時、疲労が溜まった父の休憩のためにショートサービスを提案しても、「泣いて暮らしている」「嫌なことばっかり」と言っていた母。ここにきて訪れた気持ちの変化に、少々驚いています。
「あなたその方が安心でしょう?」
「ええ、それはもちろん」
キッパリ答えてしまった私です。ごめん。私は、お薬をすっと出せないし、それに母に食事を作るのも苦痛。これ、かなりきてます。
母は食が極端に細いだけでなく、食べ残しを隠します。「お腹一杯です。美味しゅうございました」って。それは嘘!
隠されるといい気持ちは全然しないし、食べないのはもっと心配だし。
介護のプロにお任せして楽になりたい。安心したい。

「もっと生きたいなんて、欲張りかしらね?」
これも、最近、何度も何度も言っている台詞。
「生きることに欲を出すのは当然でしょ。」
「欲張って、あなたたちに断りもせずに手術を受けたいなんて言ってしまってごめんなさいね」
「いや、お母さんの人生なのだから、お母さんが決めていいのよ。」むしろ、私は決められない。
だけど、この間まで、あんなに手術を怖がっていたのに、本当にいいのかな?
私は、ちょっと心配だったりする。
「お母さん、気が変わったら、引き返してもいいのよ。」
「やると決めたから。」
なぜか決意は固い。なぜかしら? 
まあ、確かに、いつ破裂するかわからなくて、破裂したらたぶん助からないという瘤を抱えて生きているのは、たとえ10年無事に生きていてとしても、落ち着かない日々だよね。
そのことを口にすると「そうよ」

明日は担当の先生からどのような話があるのでしょうか。
ベストが難しいならベターで。
ごちゃごちゃ堂々巡りのようで、実は母の希望はシンプルだということに最近気がつきました。それは「長生きしたい」ということ。母は、もう少し生きて孫の成長を見たいと言っています。孫の成長は一例であって、シンプルに、生きていたいんじゃないかな。
長生きするにはどうすればいいのか、先生の見立てを聞きたいと思います。

揺れる気持ちをどうすれば・・・

2024-05-16 22:21:02 | 日記
今日は実家から出勤。夫が母の見守りに来てくれて、10時30分に老健ショートステイへ無事に送り出し終了。束の間の休息の日々。

ところで昨日、肝心なことを書き忘れていました。
昨日の昼間に、母が入院していた病院から電話。カテーテル検査の結果を踏まえて、手術が可能かどうか検討会議が行われ、その報告の電話です。
以下その内容です。

カテーテル検査の結果、狭心症ではないことがわかった。(狭心症であれば、そもそも手術は極めて危険) つまり手術は不可能ではないということらしい。
ただ、高齢である上に体力も体重もないので、リスクは少なくない。
直近の診察では、「長生きをしたいので手術を受ける」と宣言していたが、それ以前の診察では、迷っていた。本人の気持ちに揺れがあるように見受けられる。
検査の結果と、手述について執刀を担当する医師から説明をし、もう一度本人の意思を確認する必要がある。
日程は5月21日 午後2時30分 外来へ来られたし。

こんな主旨でした。
これは私の憶測ですが、はっきり言って手術はリスクの高いものなのではないかと思います。成功しなかった場合に備えて・・・というのは言葉が悪いですが、患者がイエスと言えば、患者側に責任があるわけで、その言質を取りたいのかなと。

2月に受診したときのT先生は、「あなたは歩いて診察室に入って来たから、体力があると考えて、手術を提案する」とおっしゃいました。
即答できない母に、取り敢えず次の予約は取っておくので、その時までに考えてくるようにと。ハキハキした女医さんで、母は「あの人、威張っていて嫌」とバッサリ。優秀な方であって、威張っているわけではないと思うけど。私はむしろさばさばした人で、いいんじゃないかなと思っています。

「一応予約」という日に検査。診察はT先生。
この時も手術を渋っていましたが、検査結果を聞きに来る日の予約を入れました。T先生曰く、「外科部長の判断を仰ぎたい。次回の外来は外科部長の日に。」
母はこの後も手術には消極的でした。
当初は「手術を受ければ?」と言っていた私たちも、「お母さんの身体だし、お母さんの人生なのだから、お母さんが決めて。手術が怖いなら、受けないという選択もありだと思う。」と言うようになりました。(私たちの気持ちも揺れていたのですね。)たぶん手術はないな。そう思っていました。
ところが、母にどんな心境の変化があったのかはわかりませんが、次の通院の日の前日に、「長生きをしたいので手術を受けたい。」と言い出したのです。
そして診察室に入って部長のI先生を前に、「手術を受けます。」ときっぱりと表明したのです。I先生も「頑張りましょう」と言ってくださったのでした。穏やかな男性の先生で、母の印象も◎。(母、結構、人に対する好き嫌いがあります。女医さんはたいていダメ。なんでだろう?) 

こんなふうに母の気持ちが揺れ動いているのは看過できない事項なのでしょうね。

さて、どうするか。
執刀医の先生に、リスク面もしっかりご説明いただき、それを受け止めて母がどう返事をするかに任せたいと、今は思っています。

先日、母が入院中の父と面会したとき、「私どうしたらいいかしら」とつぶやきました。
絶望の淵にいて、母と会って号泣していた父が、「〇〇〇(母の名前)の気持ちひとつだよ」と。
そう言って、父が母をじっと見つめた優しいまなざしが、すべてを語っていると思いました。


歯は大事だよ

2024-05-15 22:36:52 | 日記
今日は定時に上がり、実家へ。
夫が母の見守りをしてくれていて、一息つく暇もなく、歯医者へ。
母「どこへいくの?」
「歯医者ですよ。さあ、行こう」朝、言ったけどなあ。今日は歯医者行くよって。
嫌そうな顔をしていたけれど、車へとせき立てます。歯の治療をすませていないと、手術を受けられないからね。今日のミッションなんで、よろしく。
治すところはたくさんあるのだけれど、とりあえず最低限の処置をして貰って、手術を受けられる状態であることの証明書をもらいました。
まずはよかった。

思い返せば2年前の冬、急性大動脈解離で入院した時、入れ歯をなくしたのがそもそもの始まり。
リハビリ病院から退院して自宅に帰って来て、最優先事項として歯の治療を挙げた私と父でしたが、「今はいい」「ゆっくり考える」「順々にやるから、急かさないで」「とにかく今は行きません」の一点張り。
「入れ歯がなければ満足に食事もとれなかろうに。待ったなしだと思うんだが」と頭を抱える父。
訪問歯科医に来てもらっては?というケアマネさんの提案には、「カルテのあるかかりつけのR歯科に行きたいので結構です」
「R歯科まで車を出すよ」と私が言えば、「ちょっと待って。急かさないで。私の気持ちも考えてよ!」
ここで、なんで「気持ち」が持ち出されるのか? なんなんだ??とアタマに来たことも。

そのうち、「まあ、いいか」という気分になってきました。歯医者に誘おうとすると険悪なムードになってしまうし、入れ歯がなくても、なぜか食事の時に困ってなさそうだし。
そもそも、歯、磨いてないし!
「歯磨きして」と声をかけると「もう磨きました」と答えます。そんなわけなかろう。それは嘘。
だからと言って「口、開けてねー。」と優しく話しかけて歯磨きしてあげるのは、何か違う気がする。だって自分で磨けるのに。
それに、自分の子(小さい頃の)ならともかく、親のはいやだなあ。(酷いことを言ってるのはわかってるけど。) 介護職の人は、偉いなあ。

歯の状態はさぞかし酷いと想像してました。
今回は事情が事情で、有無を言わさず連れて行ったのだけど(かかりつけのR歯科)、口の中がどうなっているのか、怖かった。あ、母も怖かったから受診を渋っていたのかな? たった今、気づいたよ。
さぞかし酷かろう口の中については、前回受診して、歯が折れていて、根っこが虫歯になっていると言われました。なんてこと!
ただ、「手術が控えているならば、取り敢えず必要最低限の処置をしましょう。急いでいるようなので、2日で終わらせましょう。」
というありがたい提案をいただきました。その2日目が今日だったわけです。
やれやれ。

歯は大事。
歯をおろそかにすると、見た目もだらしなくなる気がする。口元が老けると、顔が現れる。
実は私、割とテキトー歯磨きで生きてきてしまい(あの母にしてこの子あり?)、今頃になって、とても後悔しいます。大きな口を開けても大丈夫な白い歯の人は偉い。ああ、私は、、、
いやいや後悔しても始まらない。今からでも頑張って、歯を守らなくちゃ。
歯が9本以内の高齢者と14本以上の高齢者では、認知症を始め健康面で明らかに違う傾向があるそう。
これ以上、1本たりとも歯を減らさないぞ!(これまでも親知らず以外、減ってないけど)
そう決心して、話題の電動歯ブラシを購入し(ウエル活でためたTポイントを使いました。お客様感謝デーの日に。さよならTポイント記念と自分一人で納得)、せっせと磨いているこの頃です。

先日の面会の時、父に「お母さん、R歯科に行ったよ」と言ったら
「おお、そうか。そりゃ、よかったなあ。よかったなあ。」
絶望の淵にいる父が、久しぶりに笑顔を見せた瞬間でした。

独立型夫婦

2024-05-14 20:43:16 | 日記
久しぶりの出勤。
母の退院には、夫が行ってくれました。ありがたや。
両親を見ていて、「私たちは独立型で行こう。老後の自分の面倒は自分で見よう。」と常々言っているけれど、両親の介護ではかなり助けてもらっている。夫に介護が必要になっても、見過ごすことはできないな、、、なーんて思ったり。いや、自分の方が介護されるのか? まさかまさか。

時間給を取って、1時間早く仕事を上がる。
父の病院に面会に行くため。
父が入院している病院は、地元のお年寄りに重宝されている小さな病院で、私が子どもの頃から変わらないたたずまい。駅から徒歩20〜25分。小さな山(丘陵)のふもとにあります。
何が言いたいかと言えば、アクセスがとても不便!
それでいて、面会時間が15時〜16時の1時間の枠の中で10分間。どんなに遅くても15時50分までには到着しなければならないのです。しかも平日のみ。
これって、平日にフルタイムで普通に仕事している人間には絶対に無理な設定じゃないですか! 「患者様」とか言ってるけど、考えてないよね。
てな感じで、怒りが沸々と湧いてきてしまうのです。
休みを取ってばかりで、これ以上はもう厳しい、、、と言いたいところだけれど、絶望の淵にいる父に元気になってもらうには、今のところ面会くらいしか家族にできることはありません。だから、今日も時間休を取った。

折角なので、母を誘うことを思いつきました。
また老健に入ってしまうと、外出できないから。
母が入所している老健は、父の病院のごく近くです。私としては両方の用事をついでに済ませられたりするので助かるけれど、本人たちは、距離は近くても全く会えません。
コロナが流行る前は、この老健も外出、外泊ができたとのことですが、今は一歩も出られません。
面会も玄関入ってすぐのところで椅子に座って15分。週に1回。
「ご利用者様」とか言ってるけど、何なのかなあ、、、
コロナ感染予防のためとのことだけど、老健の中でクラスターが発生して、母、3月に感染してますから。(幸い、ほとんど症状なしでした) 何なのかなあ。
こんなに閉じ込めなくても、と思ってしまいます。
民間の有料老人ホームなら、外出フリーのところ、多いのに。
有料老人ホームの方が、幸せなのかな? と考えたりするのですが、いかんせん、費用の面で厳しすぎる。
結局、お金なのか? 人生の最終章まで、お金次第なのか?

話があらぬ方向に逸れてしまいました。
日頃、溜まっていた疑問や鬱憤がつい、、、

話を戻して
今日は、老健から一旦退所している母が入院中の父を訪ねることことができる貴重なチャンス。
会うのが怖い。会いたくない。合わなくていい。
と渋っている母を押し切って連れ出しました。
対面するなり、父は号泣。
母は、さっきまでの駄々っ子のような振る舞いから一変して、女神のように優しく父の手を握るのであります。感動の再会シーンでした。

家に帰って来てからは何度も
「会えてよかった」 (よかったね)
「会えるとは思わなかった」 (会えるから誘ったんじゃないの。)
「もう会えなくてもいい」 (何を言ってるの。また機会を作りましょう)
の繰り返しです。
つまり、連れ出して正解だったわけですね、お母さん。

今、家の電話が鳴りました。母の携帯から。
「なに?」ちなみに私、2メートル先にいますから。電話ごっこをやっている場合か?
「お父さんにかけたのに出ないから、家にかけてみた。」
「きょう、病院で会って来たじゃない」
「何回かけても出ないの」
「お父さんは、手に麻痺があって、いつでも電話に出られるわけじゃないの。」
いつもの説明がまた繰り返されています。
面会しても、そこの修正はないのね。

60年連れ添った夫婦は、謎だらけ。
私は夫と、独立型になれるだろうか?
助け合うことはあっても、精神的に頼り切るのではなく、自立した自分でいたい。