楊に風と受け流す

新しい一日がやってくることは喜びです。

四元 康祐 

2007-12-18 13:52:41 | 現代文学
詩人・四元康祐

四元康祐さんのHP

福岡出身の詩人
また、あの谷川俊太郎の弟子
谷川俊太郎の後は四元康祐、といわれるくらいの人



良かった
良すぎて、気持ち良すぎて
眠くなった

すーっと体に入ってくる感じ
耳で聞くんじゃない詩
解釈なんていらない、意味なんて意味ない

どう感じたか、それもいらない
感じなくていい
気持ち良ければいい


同じ時間を共有し、同じ空間で呼吸した


言葉が宙を舞い
ゆっくりゆっくり頭上に落ちてくる
言葉が体に浸透する
鮮やかに溶けて血になる


言葉は万物を表しはしない

それを

言葉で表そうと抗う詩人

田辺聖子

2007-10-22 15:50:14 | 現代文学

田辺聖子。
大阪弁により小説を書くスタイル確立した作家さん。
有名なのは『ジョゼと虎と魚たち』かな。


最近、無性に読みたくなって本引っ張り出してみた。
最初は萎えていた大阪弁にも慣れ、今では反対に深みすら感じてしまう。


卒塔婆小町

2006-08-21 10:54:28 | 現代文学
私は中山可穂を見くびっていた。

こんなにいい小説を書くなんて‥参った。


弱法師(よろぼし)という本に収録されている短編だが、この『卒塔婆小町』は身がちぎれるほど悲しい。

珍しく同姓愛の話がメインじゃないし、彼女が新人の時よりも数段巧くなってる。
(当たり前か。)




久しぶりに泣いた。

『猫背の王子』 中山可穂

2005-05-25 00:34:05 | 現代文学
今日は、俊英の作家・中山可穂さんの『猫背の王子』を紹介しようと思います。


[概要]
主人公・王寺ミチルは、女から女へと渡り歩く淫蕩なレズビアンにして、芝居に全生命を賭ける演出家。
彼女が主催する小劇団・カイロプラクティックは、
異色の劇団だが熱狂的なファンに支えられていた。
しかし、信頼していた仲間の裏切りがミチルから全てを奪っていく。
そして、ミチルにとって最後の公演の幕が開けられた・・・。



この作品は、著者である中山可穂さんのデビュー作です。
概要をご覧になって分かるように、主人公・王寺ミチルはレズビアン。
少年のような容姿に男性性器を持たない肉体。
そして、危うく破滅的な演技は、年齢・性別を超えて人々を魅了する。
公演を前に、男性に負けたくないばかりにボロボロになるまで働き、疲れた心を女を抱くことで癒すのだ。


 「そんなに人から嫌われたいの?
 ほんとは愛されたくってしかたないくせに。
 あなた異常よ。見ていて苦しいわ。
 もっと素直になりなさい。」



王寺ミチルは、一般的な大多数の女性とは異なった価値観を持った人間である。
もちろんそれは、彼女がセクシャルマイノリティー(性少数派)に属していることもあるだろう。
しかし、私にはもっと別の特異な領域に属しているように思える。


彼女は、性的嗜好のみが多くの男性と同じだけでなく、行動・思考までも男性に近いのだ。
しかし、単純にSEX(性別)だけが女性で、
その他ジェンダー(社会的・文化的性)は男性かというと、そう簡単なものではない。
「感性」は、時に女性であり、時に男性になるのだ。

そして彼女は、女性として女を抱き、少年を演じながらも、“女優”王寺ミチルとして多くの観客を骨抜きにする。
芝居の持つ猥褻さと神聖さが同居した激しく破滅的な演技同様、
彼女自身も周囲を傷つけ孤独に陥り自ら破滅への道をたどる。

――――ほんとは愛されたくてしかたないくせに――――

それでもそんな彼女に神の手を差し伸べてくれる人たちさえ、彼女は心の底から愛することができない。


結局、彼女は自分自身しか愛していないのだ。



SEX・ジェンダーを超えた王寺ミチル。




実は、この本の作者である中山可穂さんも、
何を隠そう作品の主人公・王寺ミチルと同じセクシャルマイノリティーなのだ。
しかも、中山可穂さんも以前、演劇に関わる仕事をしていたというが、これは作者自身の私小説ではない。
この小説は中山さんにとって、(この一本では完成させられないが)一種の

【青春の儀式】

だといっている。


私は、この作品と出会って今までにない、新たな視点を手に入れた気がする。
自由の裏には義務があるというが、
裏の裏、つまり自由と対等なところには「孤独」が存在すると思う。
それを体現しているのが、この『猫背の王寺』で著されるものではないだろうか。

『ホテル カクタス』 江国香織

2005-05-23 01:12:12 | 現代文学
今日は、私が好きな作家・江国香織さんの『ホテル カクタス』について紹介しようと思います


[概要]
 街はずれにある古びた造りのアパート「ホテルカクタス」。
 そのアパートに住むのは、帽子・きゅうり・数字の2 の三人。
 三人はあるきっかけで友達になり、可笑しくてちょっぴり哀しい日々を過ごします。
 そう、それはとても穏やかな日々・・・。



(・・・・・・ん?? 何か変だ・・・。)

そう思われたあなた。
鋭い
良くぞお気づきになられました

そうです
このお話には「人」が出てきません。
登場人物は先に挙げた「帽子」「きゅうり」「数字の2」だけなのです。

ここだけの話、私は「人と人」との繋がりが描かれた作品をこよなく愛でています。
なので、大きな声では言えませんが、この作品を読み出したとき、はっきり言って

少々ガッカリしました。
(帽子?きゅうり?数字の2?・・・・・・ちょっと待てよ。)


しかし、読み終わってみると、アラ不思議。
なんてホットな気持ちなんでしょう
初めて読むのに懐かしい。
普段慣れ親しんでいる“人”が出てくる小説とは違った新しい感覚&感動でした。


はてさて。人が全くでてこないお話。
何故、私はこのお話にここまで感動できたのでしょうか。

帽子は、ただの帽子ではなく、無愛想だけど実は心優しいハードボイルドな帽子。
きゅうりも、ただのきゅうりではなく、健康的で体を鍛えるのが好きなきゅうり。
もちろん、数字の2も同じく、神経質で「割り切れないものが嫌い」な性格の数字の2。

なるほど・・・もし 帽子・きゅうり・数字の2 に性格があるなら、まさしくそんな感じゃないでしょうか。
こんな彼らが、お互いの弱さを克服し合って友情を深めていく。
少しずつ少しずつ、互いに歩み寄り理解しようとしていく。
性格も容姿もまったく違う、ただ “「ホテル カクタス」の住人である” という共通点を除いては何の接点もない彼らが、各々を尊重し合っている。

なんと素晴らしい。
人種・性別・年齢 など、ありとあらゆるものを超越しています!
これは新しいかたちの【ヒューマンドラマ】なのではないでしょうか。

私たち人間の歴史は、争いの歴史と言っても過言ではありません。
残念ながら、それは現在に至っても変わりません。


戦争している人たちに言いたい。
「すべての人を愛せ」とか「人類皆兄弟」とか、そんなことは言わない。

だけど、ちょっとこの本を読んであったかい気持ちになれよ。
そうすれば今よりも、もうちょっとだけ楽しい毎日が送れるって


そこに、私の感動の理由があったのではないかと思います。


きっと作者の江国さんもこんな事が言いたかったんじゃないかな。(何の根拠もありませんが。)
ってことで、本日はこの辺で終わり。