昨日の朝日新聞夕刊1面に大きく、明治の文豪森鴎外の出身地島根県津和野町の
宿泊施設で「鴎外食」が再現されたと出ていました。
ドイツに留学し細菌学を学んだ鴎外の潔癖性が出ている「まんじゅう茶漬け」
「刺身の醤油煮」などのようです。
鴎外は果物も生では食べなかったと言われています。
今年は鴎外の生誕160年、没後100年の節目です。
細菌に対して神経質な程気を使った彼が60歳で亡くなったことは、良く生きたというべきか、
早すぎたと言うべきか?
たまたまですが一昨日、文学館や松本清張、無法松、松本零士など文学や漫画に関する施設や
碑を写して回っていました。
その中からまずは森鴎外に関する写真をご覧ください。
鴎外は旧陸軍第12師団の軍医部長として、明治32年6月から同35年3月までを小倉で過ごしました。
この鍛冶町の住居は前半の約1年半を過ごした所です。
この住宅の様子は小説「鶏」に書かれています。
大きな通りから旧宅へ行く通りの標識。
後半を過ごした京町の住居跡。jr小倉駅の直ぐ目の前です。
紫川に架かる人道橋には鴎外の名が付けられています。
鴎外はここを渡って直ぐの小倉城内の司令部に通っていたのでしょう。
橋を渡った所にある文学碑
龍飛崎/長保有紀 ♪旅彦