そちらは、私の両親の話でした。
今日は自分の話。
私は埼玉県に住んでおり、それほど震度は大きくありませんでした。
それでも、今までに経験したことのない大きな地震で
とても驚き、怖くなりました。
私は当時シングルマザーで、二駅離れた会社で働いていました。
パソコンを前にして事務作業をしている時でした。
大きく揺れて、なかなか揺れがおさまらないどころか、どんどん揺れ、姿勢を保てないくらいになりました。
みんな慌てて、机の下に隠れたり、パソコンを抑えたり
外へ飛び出したり、いざとなると冷静に行動できないものです。
危ないと思ったので、外へ早く出たほうが良いと声をかけ
私はドアが開かなくなると困るので(建物が歪んで)
ドアを開け放して、抑えていました。
電柱がブンブンふれていて、地面も動いていて
一体どうなるのかと思いました。
揺れがおさまってから、「これでは電車は止まっているだろうね」と職場の皆で話していました。
「お子さんがいる人はすぐに帰ったほうがいい」
と社長が言ってくださり、すぐに帰ることにしました。
でも私は電車通勤。
ありがたいことに、徒歩で通勤している同僚が、車を出してくれると言うので、同僚の車に乗せてもらうことになりました。
近くの学校では、子どもたちが校庭に避難していました。
同僚のお子さんを幼稚園に迎えに行き、次に私の子供のいる保育園へ。
裏道をとおってくれたお陰で、私はかなり早く迎えに行けました。
娘は、私を見るなり泣いて抱きついてきました。
先生方も、動揺していたと思いますが
子供達を守ってくれて、本当に感謝しています。
私はすぐに迎えに行けましたが、真夜中まで、お子さんを迎えに行くことができなかった人もいたそうです。
先生も大変だったでしょう。
本当に頭が下がります。
無事に、私達は自宅まで送り届けてもらいました。
家の中は、物が一つ落ちていただけで、何も変わりませんでした。
まさか、この時は、東北地方であんなに酷いことになっているとは
思いもしませんでした。
携帯が全然繋がらなかったのですが、少ししたら実家の固定電話には繋がりました。
異常ありませんでした。
幸い、私達の住んでいるところは地盤のおかげなのか
いつも震度が小さいのです。
それでも、こんなに揺れて怖かったのに。
その後、一週間は電車は不通。
店からは、物がどんどんなくなりました。
電車通勤できないので、私は自転車で汗をかきながら通勤しました。
私が仕事をしている間に、両親が買い物をしてくれたので、たすかりました。
だって、店が早々と閉まってしまって、買い物に行けなかったんですよ。
商品も少なくて、争奪戦になっていました。
私は、自宅のトイレットペーパーが危うく無くなるところでした。
放射能が降り注いでいるのではないか?という恐怖
いつになったら、通常の暮らしになるのか
頻繁に鳴る緊急地震速報、計画停電、、、
あの時は、とにかく不安の中で生活していました。
あの時、私は子供を早く迎えに行くことができて
本当に良かったと思います。
遠くに勤めていたら、いつ迎えに行けたか。
連絡もつかなくて、子供はどんな気持ちで待たなければいけなかったかと思うと。
あれ以来、保育園でも学校でも、引き渡し訓練をするようになりましたね。
今はすっかり平和な毎日で、あの時のことを忘れてしまいそうです。
私の住んでいるところは、地震の被害がほぼなかったために
地震後の混乱と不安の中で、生活したことが一番、記憶に残っています。
今朝も、地震があってドキドキしました。
少しずつ、地球がエネルギーを発散して、小さな地震ですみますように。
今一度、備えあれば憂いなしということで、備蓄など振り返ろうかなと思いました。
コメントを投稿するにはgooブログのログインが必要です。