第二次世界大戦では多くの「戦争の結果」を出しましたが、その集大成が「敵国条項」を含む国連憲章です。国連憲章や其々の地域の国際条約によって「平和の結果」を出そうとしています。日本も大東亜戦争・太平洋戦争・ソ連侵略応戦の「戦争の結果」と、その後の「平和の結果」を出そうとしています。
「太平洋戦争」の結果は「ポツダム宣言」の受諾です。
8月 9日:ソ連の日本侵略(ソ連側は参戦と主張)
8月14日:ポ宣言の受諾。
8月15日:玉音放送。
8月16日:全軍の戦闘停止命令。
9月 2日:ミズーリ―号での降伏文書の調印。
ソ連は8月8日に「ポ宣言」に参加し、その直後に「日ソ中立条約」を破棄して「対日宣戦布告」をしたので、大東亜戦争や太平洋戦争とは別に「ソ連の日本侵略」が始まった事に成ります。スターリンとトルーマンによる裏約束が有ったとしても日本には何の関係も無いうえに、「中立条約」が有効なうちに「ポ宣言」に参加する事自体が「中立条約違反」になります。つまり、ソ連の「ポ宣言」の参加は国際法上「無効」となります。
中立条約第一條
両締約國ハ両國間ニ平和及友好ノ關係ヲ維持シ且相互ニ他方締約國ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スヘキコトヲ約ス(両国は平和友好の為に、不可侵を約束する。)
中立条約第二條
締約國ノ一方カ一又ハ二以上ノ第三國ヨリノ軍事行動ノ対象ト為ル場合ニハ他方締約國ハ該紛争ノ全期間中中立ヲ守ルヘシ(両国の一方が、第三国との軍事紛争期間中は中立を守る。)
ポ宣言第1項
我々合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣は、我々の数億の国民を代表し協議の上、日本国に対し戦争を終結する機会を与えることで一致した。
ポ宣言第7項
第6条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認される時までは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする。
「ポ宣言第1項」は日本が(ソ連から見て)第三国との軍事紛争中である事を示しているので、ソ連にしてみれば「中立条約第二條」に違反しています。「ポ宣言第7項」は(ポ宣言参加国が)日本占領を目指しているので、ソ連にしてみれば「中立条約第一條」に違反しています。
また、「中立条約」を破棄してもその後1年間は有効なので「対日宣戦布告」も無効となり、単に「ソ連が日本を侵略した」事件と言え、日本はこれに応戦した為に新たに「日ソ戦争」が始まった事になります。ソ連とは1956年に共同宣言に合意し国交回復しましたが、現在まで平和条約は結ばれていないので「日ソ戦争」は「勝敗なしに終結」したかも知れませんが、1945年8月9日午前0時に始まった「ソ連の侵略」がまだ終結していない事に成り、事実として北方領土の侵略は継続中です。ロシアでは「対日戦勝記念日」を9月3日としていますが、これは中共の「抗日戦争勝利記念日(9月3日)」と同様に「うそ話し」です。
「日ソ中立条約」は1941年に締結された「平和の結果」と言えますが、ソ連は「平和」よりも「宣戦布告」の方が優先すると考え、その後に成立したロシアも同様に考えてたようです。当然、プーチン大統領も「北方領土は戦争の結果手に入れた」と言っています。「平和条約よりも戦争の結果が優先する」と考える国とは、如何なる条約締結も意味は有りません。
「平和の結果」よりも「戦争の結果」が優先する。これが世界の常識です。一方、少なくとも戦後の日本は「戦争の結果」よりも「平和の結果」の方が優先すると信じているようで、世界の異端児扱いされています。
「太平洋戦争」の結果としては、「サンフランシスコ講和条約」が1951年9月8日に署名されましたが、同日に「日米安保条約」も署名されました。また、「サ条約」と「日米安保」の発効日は1952年4月28日で同じ日になっています。日本に統治権が無い時に署名された「日米安保」が有効かどうかは判りませんが「平和の結果」とだけは言えると思います。
「大東亜戦争」の場合は、「戦争の結果」として多くの植民地が解放され独立を果たしたことから「日本の戦争目的を達成した」とも言え、「平和の結果」以上の「戦果」が有りました。
現在は、多くの国が「平和の結果」として各種の条約を結びましたが、世界中がきな臭くなっています。
「太平洋戦争」の結果は「ポツダム宣言」の受諾です。
8月 9日:ソ連の日本侵略(ソ連側は参戦と主張)
8月14日:ポ宣言の受諾。
8月15日:玉音放送。
8月16日:全軍の戦闘停止命令。
9月 2日:ミズーリ―号での降伏文書の調印。
ソ連は8月8日に「ポ宣言」に参加し、その直後に「日ソ中立条約」を破棄して「対日宣戦布告」をしたので、大東亜戦争や太平洋戦争とは別に「ソ連の日本侵略」が始まった事に成ります。スターリンとトルーマンによる裏約束が有ったとしても日本には何の関係も無いうえに、「中立条約」が有効なうちに「ポ宣言」に参加する事自体が「中立条約違反」になります。つまり、ソ連の「ポ宣言」の参加は国際法上「無効」となります。
中立条約第一條
両締約國ハ両國間ニ平和及友好ノ關係ヲ維持シ且相互ニ他方締約國ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スヘキコトヲ約ス(両国は平和友好の為に、不可侵を約束する。)
中立条約第二條
締約國ノ一方カ一又ハ二以上ノ第三國ヨリノ軍事行動ノ対象ト為ル場合ニハ他方締約國ハ該紛争ノ全期間中中立ヲ守ルヘシ(両国の一方が、第三国との軍事紛争期間中は中立を守る。)
ポ宣言第1項
我々合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣は、我々の数億の国民を代表し協議の上、日本国に対し戦争を終結する機会を与えることで一致した。
ポ宣言第7項
第6条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認される時までは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする。
「ポ宣言第1項」は日本が(ソ連から見て)第三国との軍事紛争中である事を示しているので、ソ連にしてみれば「中立条約第二條」に違反しています。「ポ宣言第7項」は(ポ宣言参加国が)日本占領を目指しているので、ソ連にしてみれば「中立条約第一條」に違反しています。
また、「中立条約」を破棄してもその後1年間は有効なので「対日宣戦布告」も無効となり、単に「ソ連が日本を侵略した」事件と言え、日本はこれに応戦した為に新たに「日ソ戦争」が始まった事になります。ソ連とは1956年に共同宣言に合意し国交回復しましたが、現在まで平和条約は結ばれていないので「日ソ戦争」は「勝敗なしに終結」したかも知れませんが、1945年8月9日午前0時に始まった「ソ連の侵略」がまだ終結していない事に成り、事実として北方領土の侵略は継続中です。ロシアでは「対日戦勝記念日」を9月3日としていますが、これは中共の「抗日戦争勝利記念日(9月3日)」と同様に「うそ話し」です。
「日ソ中立条約」は1941年に締結された「平和の結果」と言えますが、ソ連は「平和」よりも「宣戦布告」の方が優先すると考え、その後に成立したロシアも同様に考えてたようです。当然、プーチン大統領も「北方領土は戦争の結果手に入れた」と言っています。「平和条約よりも戦争の結果が優先する」と考える国とは、如何なる条約締結も意味は有りません。
「平和の結果」よりも「戦争の結果」が優先する。これが世界の常識です。一方、少なくとも戦後の日本は「戦争の結果」よりも「平和の結果」の方が優先すると信じているようで、世界の異端児扱いされています。
「太平洋戦争」の結果としては、「サンフランシスコ講和条約」が1951年9月8日に署名されましたが、同日に「日米安保条約」も署名されました。また、「サ条約」と「日米安保」の発効日は1952年4月28日で同じ日になっています。日本に統治権が無い時に署名された「日米安保」が有効かどうかは判りませんが「平和の結果」とだけは言えると思います。
「大東亜戦争」の場合は、「戦争の結果」として多くの植民地が解放され独立を果たしたことから「日本の戦争目的を達成した」とも言え、「平和の結果」以上の「戦果」が有りました。
現在は、多くの国が「平和の結果」として各種の条約を結びましたが、世界中がきな臭くなっています。
そもそも日本は国際連盟から脱退したんだから、条約もヘッタクレもなくないですか?🐥
コメント、有難う御座います。
「色々な意味」が意味深長ですが、「人民」を統制するにはイベントは重要なアイテムなので「次のアイテム」が登場するまでは無くならないような気もします。
「次のアイテム」が、共産主義やグローバリズムでの被害を振り返るイベントになれば、有益だと思います。
コメント、有難う御座います。
国際連盟は条約に則って脱退したので、日本は条約に従ったと言えます。また、「宣戦布告」は国際連盟とは別の条約です。
真珠湾攻撃は「宣戦布告」の伝達が遅れただけで、奇襲攻撃は戦争の常識です。軍事施設に対する「奇襲攻撃」自体を禁止する条約は無いと思います。。
「宣戦布告」に関するブログを、纏まり次第UPしたいと思います。