オメガねこ

知識は人をバカにする。
智識はバカを人にする。
信じるか信じないかは、自分次第です。

「自然淘汰」 と 「人工淘汰」 ②

2023年10月18日 | 雑感
 生物・無生物の別なく、総ては系全体として「エントロピー増大の原理(熱力学第二法則)」によって無から無限大(=無)へ一方向に進化します。人間が感知する世界を「人間の世界」とすると、「人間の世界」以外では「自然淘汰の原則」は「最善」と同意語ですが、これを「人間」は受け入れられないようです。

 「自然淘汰の原則」は、多くの場合、「自然淘汰」の結果生まれた人間には耐えられない法則なので「悪」とされます。戦争による強者生存は「悪」とされ、人道的な弱者救済は「善」とされますが、これは「自然の法則」には反しています。

 もしも過去に一切の戦争が無ければ、現在に繋がる先祖の出会いの機会が失われ、現在の大半のヒトは生誕する事が無く、現存した事のない他者と入れ替わっています。つまり、我々は「悪の結果」として運よく生存する事が可能になったと言えます。これは「因果応報」で、良く言えば「先祖の努力の結果」、悪く言えば「先祖の祟り」です。

 喩えそれが「神の意志」だとしても・・・と言うより神を信じるのなら、尚更この現実を受け入れざるを得ません。過去の経緯が事実かどうかは兎も角、それを恨み、現在の状況を変えようと謀略やテロ・戦争を仕掛けて強者生存を謀るのは、将来の強者生存を自ら認める事になり、人間と自然が一体化し「自然淘汰の原則」に則した世界と言えます。

 一部の自然保護団体が暴力的なのも「自然の法則」に適っているのですが、それでは「人間」と「自然」を「(認知)意味論」として分離した意味が有りません。「ヒト」は自然の一部である事は確かですが、「人間は自然の一部」と考える場合も「自然淘汰(=人工淘汰)の原則」は成立します。

 「人工淘汰の原則」によって「戦争に強い民族」に進化出来るにしても、それではあまりにも悲惨な結果を齎すので、「人間が認識する事で自然が存在できる(自然と人間を分離)」と考え、最近では人間(ヒトでは無い)には「自然の法則」は適用しないほうが良いと考える人も増え始めました。

 但し、上記は西洋文明の話で、本来の日本(縄文時代由来)には適応しません。一万年以上続いた縄文期には戦争の形跡が無いとされ、寧ろ「自然の法則」によって栄えた時代のようです。これは「自然環境」が良かったと言うのではなく、自然災害や疫病などの「自然淘汰」を悲しみと共に受け入れた結果、疫病や災害に強い現在の日本人が誕生したと云う事です。これは「科学的帰結」であり「因果応報」は有りません。

 それでも、戦後には日本の欧米化が極端に進み、西欧的な「自由・平等・博愛(人道主義)」やら、人工的なワクチン等を受け入れた為に「人工淘汰」が進んでいるようです。




コメントを投稿