日本語で「白」は、「正しさ・無実」のイメージがあります。古代の日本では「白」は尊い色とされ、「白い衣」は天皇以外は着る事が出来無かったようです。英語圏では、「善・純粋」の意味が有り、「ホワイト国」の場合は「好ましい国」となります。
「黒」は「不正・非合法」のイメージが有る一方、最上級を意味する事もあります。
怪しい場合は「灰色」になりますが、「灰色」は「白」と「黒」を混ぜ合わせると出来るので、どちらか判らないではなく「正邪両有」とも言えます。
宮崎駿氏は第二次大戦に関して「一つの時代を遠くから見て、灰色だとか決め付けることは間違っている。」と発言したそうです。この場合の「灰色」は「怪しさ」と「正邪両有」の何方を意味するのかは灰色です。しかし、戦争犯罪について「二郎や自分の父親が無罪だなんて思っていません。」とも言っていて、堀越二郎や父親を「灰色」に決めつけています。堀越二郎はゼロ戦の設計者で、宮崎氏の父親は中島飛行機の下請け軍需工場(宮崎航空興学)の役員です。
また、「零戦、零戦と騒ぐマニアの大半は、コンプレックスで凝り固まり、何かに誇りを持たないとやっていけない人間です。思考力や技術力を超えた堀越二郎の天才的なひらめきの成果を、愛国心やコンプレックスのはけ口にして欲しくはない。僕は今度の映画で、そういう人々から堀越二郎を取り戻したつもりです。」と言っていて、「灰色」かも知れない過去や自分も含めて「白」「黒」を決定づけています。
更に、「日本の子供がナショナリズムから解放されるべきで、世界の問題は多民族にある。」と言いながら、「慰安婦の問題も、それぞれの民族の誇りの問題だから、きちんと謝罪してちゃんと賠償すべきです。」とまで言ってます。各民族に誇りがあるからこそ、世界には多くの民族が存在しているにも拘らず、「多民族」が問題だと言うのなら、「民族の誇り」に問題が有る事になります。
この「問題のある民族の誇り」を理由に、「謝罪と賠償」で「白」「黒」の決着を主張する事は、この問題を「灰色」にします。
宮崎駿氏の発言の一つ一つは、一見すると正しそうですが全体を観ると、元々「白」「黒」のはっきりした問題を「灰色」にして、解決をさせないと云う意図を感じます。
ただし、その目標が一般市民を無差別爆撃しなければ、爆撃することができない位置にある場合には、航空機は爆撃を避けなければならない、との適用除外があります。
果たして三菱重工業名古屋航空機製作所に勤務していた堀越二郎氏と、下請け軍需工場に勤務していた宮崎駿氏の父親の運命やいかに。
「・・・父親の運命やいかに。 」って、父親はまだ生きているのですか?
それよりも「本人の運命はいかに?」・・
宮崎駿氏を韓国では「日本の生ける良心」と賞賛していて、中国の「人民日報」では「記憶にとどめておくべき良識ある日本人」としています。
「二郎や自分の父親が無罪だなんて思っていません。」なので、自分の息子に裏切られた「父親」に任せたいと思います。亡くなっていれば「怨霊」に任せます。
若しかすると、日本がハワイを絨毯爆撃していたら、原爆投下の屁理屈としての「南京大虐殺の捏造」が無かったかも知れません。
日本の国際法に則った「綺麗な戦争」が、「反日捏造」の原因かもしれません。難儀ですね。
アメリカによる「東京大空襲」「広島・長崎原爆投下」からすると、
日本は「ワシントン大空襲」「ホノルル・セントポール原爆投下」が許されると云う事ですか?
それとも、サ条約で「報復権」は消滅したのでしょうか?