ヒトの細胞には其々の部位で其々の役割がありますが、「自分」の一つの細胞内には複数の遺伝子が有りますが、他の細胞の遺伝子とは構造が同じで統制の取れた行動をします。脳の細胞と足の細胞は神経で繋がっているとは思いますが、総ての細胞が脳の命令を聞いて指令通りに動いているとは思えません。それでも「自分」の脳と体は「自分」と言えます。
切られた髪の毛や爪、或いは垢は死んでいて「自分」の脳神経とは繋がっていないので「自分」とは言えませんが、事故等で切断した「部品」は繋がっていなくても「自分」の一部です。しかし、「他人」に移植された臓器などは(法律上は)「自分」ではなくなるので、遺伝子で「自分」と「他人」を区別するのは間違いである可能性も有りますが、ここでは「分離した自分」と考えます。
ウイルスが宿主に憑りついて、そのRNAと同じ遺伝子を複製し、それは「自分」の遺伝子と同じ構造なので総て「自分」と言えるかも知れません。その場合、複製された多数のウイルスは総て「自分」なので連携し、戦いを有利に運ぶことが出来ます。増殖したウイルス同士はは直接繋がってはいませんが、それでも連携可能な事は、個体が直接繋がっていないイワシの大群の連携を観ても明らかです。
イワシの大群の固体の全てが「連携に関する遺伝子」の同じ情報を持っているかどうかは解りませんが、一体として行動します。若しかすると大群は一体として「自分」なのかも知れません。
しかし、「他人」から「自分」に移植された臓器は既に「自分」と考える場合は、宿主に憑りついたウイルスでも、宿主から見ると「自分」なのかもしれません。実際に「自分」の細胞内に住んでいる細菌の一種である「ミトコンドリア」は、共生しているとは言え「自分」とは別の遺伝子を持ったバクテリアです。
「武漢ウイルス」は恐らく「浸透力」が弱く、更に「弱毒性」である事が特徴のようなので、粘膜近くの細胞や肺胞表面で増殖し内部に浸透しにくく、ウイルスが増えても症状が出にくい反面、拡散しやすい性質を持っているようです。高齢者など、例えば粘膜が薄いとか「免疫力」が弱いなどの理由で奥まで浸透すると、症状が悪化し生死を彷徨います。たとえ抗体がこの戦いに勝ってもウイルスは何処かの抗体の届かない表面に残っている為、再発の可能性が残ると考えられます。
「自分」の体表にへばり付いた泥などは、明らかに「自分」ではないと言え、同様に「自分」の粘膜などに付着している「ウイルス」は「他人」なので、排除するのが自然現象として正しい行為です。しかし、細胞内に入り込んだウイルスは、共生する「ミトコンドリア」とは違い敵対的とは言っても、「自分」なのかもしれません。
敵対行為をとる「中国型ウイルス」は宿主が死ぬと「自分」も死ぬので「覇権」を握る事は出来ません。将来に於いて、人間と共生するミトコンドリアの様な「日本型ウイルス」が誕生して「覇権」を握るかもしれませんが、実際には「他人」を利用した方が有利です。
中共の覇権戦略は「他人」を利用する「超限戦」なので、「武漢ウイルス」よりも厄介です。
今回の「武漢ウイルス」は確かに成功例だと思います。中共はこれに倣って方針を転換して「超限戦型ウイルス」に変異し、防疫用品の戦略的支援を行い、「人口侵略」の足掛かりにして浸透工作をすると思います。