オメガねこ

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「ジェンダーフリー」 と 「フリージェンダー」

2021年03月21日 | 雑感
 「自分を内心男性と認識している外見男性」が日和った時に、他の人が「男だろ!」と活を入れるのは問題は無いと思いますが、その人に対して「女々しい!」と言ったら、多くの人から制裁を受けるかも知れません。

 本来の「ジェンダーフリー」は、「従来の固定的な性別による役割分担にとらわれず、男女が平等に自らの能力を生かして自由に行動・生活できること」ですが、自分が思う「自分の社会的な性」を社会が認めた場合には、話が複雑になります。正しいかどうかは判りませんが、これを「フリージェンダー」とします。但し、これは社会的な性別であり、生物学的な性別ではありません。

 例えば、社会制度が女性より男性の方に都合よく出来ている場合、「フリージェンダー」ならば人類が全員「自分は男性」と思う事で一切の性差は存在しなくなり「ジェンダーフリー」が成立します。その場合でも「子供を産む男性(生物学上は女性)」と「子供を産めない男性」は生物学的な性差は有りますが、その社会的性差(ジェンダー)による差別は存在しません。

 また、男性が女性専用の競技に参加したければ「自分は社会的な女性」であると認識することで、優勝する可能性は高くなりますが、この場合も「ジェンダーフリー」が成立して理想の社会に一歩近づきます。

 「ジェンダーフリー」の政策で、トイレを「LGBTQ・・X」別に分けるのか、「人類専用」或いは「生物専用」として統一するのかは判りませんが、「フリージェンダー」の場合は気分次第なので分離しても統一しても意味が有りません。

 性的少数者の分類の内「X」は、流行の「DX:デジタルトランスフォーメーション」で使用している「トランスフォーメーション」の意味で「Transformation:意識的な形態変更(変態)」です。これは「トランスジェンダー(T):性同一性障がい」とは違い、自由意思で何時でも変更できる事から、全員が「X」に移行した場合には「性的少数者」ではなくなり、同時に「ジェンダーフリー」も成立します。

 人類が皆「X」ならば、性差を付けようが有りませんし、「腕力」や「能力」の差で選別する事になり、行き着くところは「統計学的に」、「生物学的な男性」は男性らしい仕事、「生物学的な女性」は女性らしい仕事に振り分けられ、伝統的な性差が再現されます。

 これが気に入らない人もいて、弱い方に「下駄をはかせる」ことで「平等」を保とうとします。ところが、「女性は弱い」とか「女性は話が長い」等と言うと「差別主義者扱い」され、下駄をはかせるにも困難を極めます。

 「ジェンダーフリー」が成立しても、年齢や学歴での差別は当然の様に残ると思いますが、その現実に苦情を言う人は殆ど見た事は有りません。推察するに、「ジェンダーフリー」を主張する人は「高学歴者」が多いのではないかと思います。統計では「低学歴の人」や「若年層」は低報酬の傾向があるので、「ジェンダーフリー」を主張する人は「人間としての価値は、年齢や仕事の熟練度には関係ない」として、同一報酬を主張すべきですが、その意見は聞いた事がありません。

 それは兎も角、現在の所、人類の男女比はほゞ同じなので、選挙で選ばれる男女比も同じになる筈ですが、少なくとも日本では圧倒的に男性が選ばれます。これは「女性が女性に投票しない」ことに起因していて、男性の所為ではありません。これを合理的に正当化するには「フリージェンダー」の概念を受け入れ、男性に見えてもそれは「X」であると認める事です。

 いつまでも、古めかしい概念である「ジェンダーフリー」を振り回していないで「フリージェンダーX」を受け入れれば、伝統的な「社会的性差」が再現され、総ては解決します。




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