8月6日。猛暑日連続6日目だった。
そんな体温よりも高い気温に勝る出かける理由があった。
「河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)」の絵を見られる日だったんだもん。
美術館前の霧がききききもちよいいいいい。
「画鬼 暁斎 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」 @三菱一号館美術館
暁斎は幕末から明治に活躍した絵師。
狩野派と浮世絵の技法を学んでいる。
たくさんの(技法とバリエーションと膨大な数量の)絵が残っている。
流行絵師だったのだろう。
でも子供のころ、山道に生首が転がっていて(ええええ??)、
デッサンしたくて家に持ち帰り、
お父さんに見つかって「元に戻して来い、そこで写生をしなさい」と
言われたほどだ。(お父さんも偉い(笑))
そのせいか生首や死体の絵もなかなか迫力なのだけど、
とにかく「画鬼」なわけです。
またフランス人画家が暁斎をモデルにして、時間をかけて写生したときに、
暁斎はモデルをしながらフランス人画家を観察して、終わったのちに短時間でフランス人を描き上げ、
驚かせたなど、逸話は数限りない文字通りの天才。
動物画あり、放屁合戦(笑)あり、春画あり、美人画あり、鳥獣戯画あり、道釈人物画あり。
それでも暁斎は一日絵を描いた後、道釈人物画のデッサンを欠かさずやっていたそうだ。
緻密な下絵も見ることができた。これを見ていると、細部と構成の二重の構成を考えているのがよくわかる。
天才は圧倒的な技術のもとに成し得ないことを成し得るのだ。
天才暁斎は春画も描いていた。この黒いカーテンの裏にあるのが春画です。
春画って淫靡ではなくておもしろくて!
日本では春画はご法度扱い。
三菱美術館さん、がんばってくださったんですねぇ!
鳥獣戯画、暁斎バージョン。迫力がすごい。
かと思いきや、
美人画。
コンドルさんの絵が上達したのを記念して、暁斎がプレゼントしたそうだ。
コンドルさんの娘さんの結婚式にもこの絵が見えることからとても大切にされたもの。
コンドルさんは、日本文化に傾倒した外人と言うよりも、
東京国立博物館の前身の建物を建設したり、
展示されているこの三菱一号館美術館を建築した、日本の明治文化に寄与したイギリスの建築家。
暁斎の最期を看取ったとも文献にあるので、そうとう懇意にしていたと思われる。
暁斎は日記というか日々の記録を絵で描き続けているが、
コンドルはなんどもなんども出てきているので、「スタンプ」になってしまっている(笑) 欲しいわー、これ。
コンドルさんの暁斎への尊敬する心と、暁斎の絵への真摯な思いは永遠に変わらないものだったことがよくわかった!!
コンドルさんの偉業もちゃんと展示されている。
コンドルさんはきっとこの館でこの展示がされたのを喜んでいるのではないかと思う。
そしてこれを機に、多くに日本人、そして海外の人に評価されていくといいなあ。
(海外にはもともと人気とも言われていますが。)
最近よく思うのだけど、
仕事がら海外の子も日本の子も一緒に学ぶ場にいることも多いが、
そこでは内心いろいろあるかもしれないけど、みんな仲が良くてその社会性に驚く。
近隣の外国人とは仲良くできるのに、「国」という単位になると
仲良くできなくなっちゃうんでしょうね。国の実体ってなんでしょうね。
今回はメトロポリタン美術館からも初の里帰り出展。
館内はちょっとした遊び心もあって、美人がちらりとこちらを覗いていたりね。
ねこ愛的には(笑)、これもこれもこれも最高。
「画鬼 暁斎 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」 @三菱一号館美術館
・ブロガー展示会に参加してきました。
・絵画の画像はパンフレットより抜粋
そんな体温よりも高い気温に勝る出かける理由があった。
「河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)」の絵を見られる日だったんだもん。
美術館前の霧がききききもちよいいいいい。
「画鬼 暁斎 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」 @三菱一号館美術館
暁斎は幕末から明治に活躍した絵師。
狩野派と浮世絵の技法を学んでいる。
たくさんの(技法とバリエーションと膨大な数量の)絵が残っている。
流行絵師だったのだろう。
でも子供のころ、山道に生首が転がっていて(ええええ??)、
デッサンしたくて家に持ち帰り、
お父さんに見つかって「元に戻して来い、そこで写生をしなさい」と
言われたほどだ。(お父さんも偉い(笑))
そのせいか生首や死体の絵もなかなか迫力なのだけど、
とにかく「画鬼」なわけです。
またフランス人画家が暁斎をモデルにして、時間をかけて写生したときに、
暁斎はモデルをしながらフランス人画家を観察して、終わったのちに短時間でフランス人を描き上げ、
驚かせたなど、逸話は数限りない文字通りの天才。
動物画あり、放屁合戦(笑)あり、春画あり、美人画あり、鳥獣戯画あり、道釈人物画あり。
それでも暁斎は一日絵を描いた後、道釈人物画のデッサンを欠かさずやっていたそうだ。
緻密な下絵も見ることができた。これを見ていると、細部と構成の二重の構成を考えているのがよくわかる。
天才は圧倒的な技術のもとに成し得ないことを成し得るのだ。
天才暁斎は春画も描いていた。この黒いカーテンの裏にあるのが春画です。
春画って淫靡ではなくておもしろくて!
日本では春画はご法度扱い。
三菱美術館さん、がんばってくださったんですねぇ!
鳥獣戯画、暁斎バージョン。迫力がすごい。
かと思いきや、
美人画。
コンドルさんの絵が上達したのを記念して、暁斎がプレゼントしたそうだ。
コンドルさんの娘さんの結婚式にもこの絵が見えることからとても大切にされたもの。
コンドルさんは、日本文化に傾倒した外人と言うよりも、
東京国立博物館の前身の建物を建設したり、
展示されているこの三菱一号館美術館を建築した、日本の明治文化に寄与したイギリスの建築家。
暁斎の最期を看取ったとも文献にあるので、そうとう懇意にしていたと思われる。
暁斎は日記というか日々の記録を絵で描き続けているが、
コンドルはなんどもなんども出てきているので、「スタンプ」になってしまっている(笑) 欲しいわー、これ。
コンドルさんの暁斎への尊敬する心と、暁斎の絵への真摯な思いは永遠に変わらないものだったことがよくわかった!!
コンドルさんの偉業もちゃんと展示されている。
コンドルさんはきっとこの館でこの展示がされたのを喜んでいるのではないかと思う。
そしてこれを機に、多くに日本人、そして海外の人に評価されていくといいなあ。
(海外にはもともと人気とも言われていますが。)
最近よく思うのだけど、
仕事がら海外の子も日本の子も一緒に学ぶ場にいることも多いが、
そこでは内心いろいろあるかもしれないけど、みんな仲が良くてその社会性に驚く。
近隣の外国人とは仲良くできるのに、「国」という単位になると
仲良くできなくなっちゃうんでしょうね。国の実体ってなんでしょうね。
今回はメトロポリタン美術館からも初の里帰り出展。
館内はちょっとした遊び心もあって、美人がちらりとこちらを覗いていたりね。
ねこ愛的には(笑)、これもこれもこれも最高。
「画鬼 暁斎 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」 @三菱一号館美術館
・ブロガー展示会に参加してきました。
・絵画の画像はパンフレットより抜粋
前からすごい人だと思ってたけど、
日曜美術館で観てから、更に驚嘆しました!
暁斎って、常に何か描かないではいられない人だったんですね。
描く時には頭の中では既に絵が出来上がっていたのでしょう。
こんな凄い人の絵が海外に流れて行ってしまっていたなんて。
誰かが二束三文で売ってしまったのでしょうか(憶測です、明治初期にはよくあったことらしいので)
今回、里帰り出展できてよかった~( ;∀;)
コンドルとの交流も何かいいなあ。
仰るように、国が違っても個人と個人のお付き合いでは、
ただ親しみとか愛情とかで交わることが出来るのに、
国家単位だと、なぜに摩擦が起きるのか。
と思います。
素晴らしいレポートありがとうございました。
鬼才と呼ばれる天才絵師・・・ホントに昔の日本人は天才ばかりだったんじゃないかと思うような方が沢山いましたね・・・
今の時代のように、デッサンや色の基本を学んでから・・・っつうのは、結局モノにはならない・・
見たものを時間を経てもそっくりに描けるとか特技があるよねぇ・・・ほとばしる・・・というのがまさしく天才・・
そうして海外に流失してしまった美術品は多い・・
流失しても、ちゃんと大事に保管してくれてたという事に驚きと感謝を感じます・・・里帰りであろうとそれが見れる幸せ感じます・・・
解説がとても的確で、多くを見て、本当にお好きなんだなぁと思えます。
おかげで、こちらはそこに行かなくても見て来たような感覚になれます・・ありがとう!
オバサンのどうでもいい感性が夏枯れしてました・・・(^_^;)生き返った~(笑)
今年は、江戸は猛暑が続いたようで…。
こちらは、猛暑日は数えるくらいで、
程よい暑さです。
でもきっと、こんな夏だと残暑が厳しいだろうね。
と思っています。
こんな暑い中、初めて知りましたという美術を紹介いただき感謝です。
ほお~と感動しつつ、トラネコさんの解説に感銘しました。
今年は、仔猫のヒット率が高くて…
だれかもろて~と叫んでおります。
昨日は映画「駆け込み女と駆け出し男」を見に行って、面白かったし、美しかったし、奥深かったので、楽しかったけど、DVと動物虐待をしていた井上ひさしが原作と聞くと少しげんなり。
人なんてみんないろいろな心の傷を抱えているし、
仕事としての作品とは違うわけなので
そこと絡めた批評をするべきかと考えていたけど、
なんとなくねえ。。。。
映画の中にはDVまがいの内容も含まれているけど、
少し複雑な目で見ている自分がいました。
日本人に対して、差別意識は
そこそこあったと思いますし、
ほんとうに、美に対する姿勢をきちんと判断した人で
あったのだなあと思いますし、
暁斎自身も、鬼だの何だの言っていた時代ですから、
「美」に向き合う間柄だったのだろうと思います。
また、レポート頑張りまーす!!
やりたいことをやれる時代ではなかったと
思いますので、儲けること、お金になることは
がむしゃらにやっていて、春画あり、仏画あり。
社会のその鷹揚さもいいですが、その度量に
名声があったのだろうなと思います。
儲かってくると人手も足りなくて、
今でいう会社にして・・・というところは、
弟子にして、成長したらのれん分けしていく。
なんか似ているのだけど、やはりそこに
免許皆伝的なところがあって、先生の許可がいって、
技術の許可というより、心構えとか思考法
なのだろうなぁと思います。
そして真摯な思いで描かれた絵は
色んな人の手にわたっていくのだけど、
そこでまたいろんなドラマを経て、
また絵は大切にされていく。
不思議ですね、一枚の紙に描かれた絵の不思議さ、ですね!
東京はこの暑さで、ねこ兄弟は
ながーーい毛玉となってゴロゴロしております。
でもエアコンつけたら、しばらく部屋を出ていきます。
なんだよぉ。
しかし、たまに「お、トラネコだ」と
ひざにの乗ってきてくれたりしますが、
それは暑くて嫌なの――――(笑)
そんなわけで美術館へ...なんですが、
今年は美術館にたどり着くまでが暑くて(笑)
おたがいぼちぼちやりましょー!
川鍋暁斎記念美術館というのがあります。
行ったことないんですが、
住宅街にある小さな建物で、
あれ?こんなところに美術館?
というようなところにあります。
暁斎(キョウサイ)の曾孫が設立した美術館とのことで、
以前仕事先に、そこで学芸員していた人がいました。
時々通るだけなんですが、
今度覗いてみようかな。
河鍋暁斎記念美術館があるのは
知っていましたが、
蕨とは知りませんでした。
図録なんかを見ても、結構この美術館が
持っているので、行く価値があるかもしれません。
(三菱美術館の後、展示は全国を回るとは思いますが…)
多彩ぶりに、評価が多くの人の心の中で
暁斎の傑作はこれだ!となりにくいのですが、
幕末に生きた市井の人気絵師の心意気と
底力を感じましたよ!!