3日目・・・。
この日が、私にとっては最大の難所になることが予測されました。
ケンザからセテ。登り始めにして、標高を一気に1000m上げなければなりませんでした。ガイドブックでは2時間とありますが、荷物を背負った女の私にはとうてい無理なわけで、雄ちゃんには申し訳ないけど、ゆっくり登らせてもらうことをお願いしました。
3から4時間かかるか・・?
もう、上を見る余裕なぞどこにもなくて、一歩一歩確実に足が前に進むように気合と根性で乗り切りました。
すると思った以上に、到着は早くて2時間半!
意外と呆気なく登れたのです!だから、着いたときには拍子抜けとともに大声で喜び、雄ちゃんとパンケーキを頬張りました。
しかし、この日は同じように登りを全部で3セット繰り返しました。標高1600から最高地点の3600mの峠がゴールでした。
2000mを登るのって、本当に苦しいです!
ただ、幸いなことに高山病とはほとんど無縁でした☆
そして、辛い登りではありましたが、雄ちゃんが時々馬鹿な冗談を言ったりモノマネをして笑わせてくれたり、歩みが遅くなったときには、私のペースに合わせてくれて一緒に歩いてくれたおかげで、辛い中にも不思議と気持ちは常に前を向いて進んでいくことが出来たのです。
この日、3600mに位置する山小屋でお世話になりました。ほぼ同い年の男性が一人、4歳と5歳の子供の世話をしながら切り盛りしていました。
どうやら奥さんは、1ヶ月前から体調を崩してカトマンズの病院で入院をしているそうでした。まだ小さい兄妹は、母親がいつ帰ってくるかと毎日のように聞いてくると言ってましたが、二人とも明るくたくましく、仲良くお留守番が出来ていました。
兄は早朝から父親よりも早く起きて、掃除や火起しするなど5歳児とは思えない程しっかりしていました。
周囲には学校もなく、友達の存在さえありません。読み書きなどは、父親が時間を見つけて教えていました。
この日は、雄ちゃんが二人と一緒に外でキャッチボールをして遊び、私は持ってきたおりがみでいくつかおもちゃを折ってプレゼントしました。嬉しそうな表情とはしゃぐ子供たちの姿は忘れることはないでしょう・・・
この日が、私にとっては最大の難所になることが予測されました。
ケンザからセテ。登り始めにして、標高を一気に1000m上げなければなりませんでした。ガイドブックでは2時間とありますが、荷物を背負った女の私にはとうてい無理なわけで、雄ちゃんには申し訳ないけど、ゆっくり登らせてもらうことをお願いしました。
3から4時間かかるか・・?
もう、上を見る余裕なぞどこにもなくて、一歩一歩確実に足が前に進むように気合と根性で乗り切りました。
すると思った以上に、到着は早くて2時間半!
意外と呆気なく登れたのです!だから、着いたときには拍子抜けとともに大声で喜び、雄ちゃんとパンケーキを頬張りました。
しかし、この日は同じように登りを全部で3セット繰り返しました。標高1600から最高地点の3600mの峠がゴールでした。
2000mを登るのって、本当に苦しいです!
ただ、幸いなことに高山病とはほとんど無縁でした☆
そして、辛い登りではありましたが、雄ちゃんが時々馬鹿な冗談を言ったりモノマネをして笑わせてくれたり、歩みが遅くなったときには、私のペースに合わせてくれて一緒に歩いてくれたおかげで、辛い中にも不思議と気持ちは常に前を向いて進んでいくことが出来たのです。
この日、3600mに位置する山小屋でお世話になりました。ほぼ同い年の男性が一人、4歳と5歳の子供の世話をしながら切り盛りしていました。
どうやら奥さんは、1ヶ月前から体調を崩してカトマンズの病院で入院をしているそうでした。まだ小さい兄妹は、母親がいつ帰ってくるかと毎日のように聞いてくると言ってましたが、二人とも明るくたくましく、仲良くお留守番が出来ていました。
兄は早朝から父親よりも早く起きて、掃除や火起しするなど5歳児とは思えない程しっかりしていました。
周囲には学校もなく、友達の存在さえありません。読み書きなどは、父親が時間を見つけて教えていました。
この日は、雄ちゃんが二人と一緒に外でキャッチボールをして遊び、私は持ってきたおりがみでいくつかおもちゃを折ってプレゼントしました。嬉しそうな表情とはしゃぐ子供たちの姿は忘れることはないでしょう・・・