おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

ピネルが「精神医学の父」と呼ばれた理由を考察しながら

2023-10-27 06:05:00 | 日記
「幸福がもたらされるには太陽が必要だと考える人は、
雨の中で踊ってみたことがない人である。」(作者不詳)

フィリップ・ピネルは、
それぞれの患者の身の上話に、深い興味を持っていた。

ピネルが知りたかったことは、患者が人生で味わった苦難が、病気とどう関係しているか、であった。

いまの人格を形成しているものを、ピネルは、各自の希望、恐怖、動機、環境に求めた。

それをよく示すように、ピネルの第1の秘書役、助言役、そして教師役となったのは、かつては患者であり、のちに優れた臨床医であり管理者となった人物であった。
この2人が開発したものに、教育、認知療法、現実検討、作業、運動、セラピー活動、支援を組み合わせた、現代へと続く、精神病の「心理学的」治療がある。

ピネルは、脳の生理学的損傷、心理的あるいは社会的ストレス、
そして当時、患者が受けがちであった、おぞましい治療と呼ばれたものたちこそが組み合わさり、精神病の原因になり得る
、と、考えた。

そして、瀉血、下剤、鞭打ち、回転椅子、といった野蛮かつ強引な治療をもはや不要なものとし、
自然な回復を促進しようとした。

ピネルは自身の治療の力を過信することなく、患者に宿る強靱な回復力を信じていたし、
拘束衣による肉体的な拘束やアヘンによる化学的な拘束は、
最も暴力的でどんな治療にも反応が見られない患者に限って行われた。

現代において、いまだに、日本の一部の医療施設や精神病院で過剰かつ乱暴な拘束や薬物投与などを強行している人々や、
精神病院などで拘束の上で心身に暴力を振るい逮捕された人々には、
ピネルの姿勢を学び直してほしいものである。

ピネルは近代精神医学を創始し、その暗黒時代に終止符を打った。

19世紀の精神医学の発展は、精神疾患の分類を、人道的な理由からも知的な理由からも、刺激に富んだ試みにした。

なぜなら、明らかな臨床目的で使う以外にも、精神疾患を明確に記述、区分すれば、その原因についてのもっと優れた理論に繋がるという認識があったからだ。

確かに、分類したのは臨床医だが、彼ら/彼女らは同時に、観察科学者であり、リンネが動植物で行ったことを、精神科の診断で行おうとしていたのである。

ピネル(やその周囲)が人間としても科学者としても素晴らしかったので、ピネルの登場を待って、やっと精神医学にルネサンスと啓蒙が訪れたと言うのも、言い過ぎではないように、私は、思う。

ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
作者不詳なのですが、冒頭に挙げた、
「幸福がもたらされるには太陽が必要だと考える人は、雨の中で踊ってみたことがない人である」ということばが、うまく説明出来ませんが、私は、好きです。
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。