おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

「個人の苦痛と不快のメタファー」を「筋の通った病気」に転換した事例から

2024-06-25 07:24:08 | 日記
おおよそ1世紀前、世界は、神経衰弱と転換性ヒステリーと多重人格障害で溢れていた。

しかし、どういうわけか、3つとも、唐突に消え去った。

精神科の診断が、今も昔も、非常に移ろいやすいものであることは、驚くには当たらないのかもしれない。

なぜなら、物事の流行は私たちの行動のあらゆる面に影響を及ぼしており、群れに従うことは人間の本質に組み込まれているからである。

ただし、物事には流行り廃りがある。

今は、確りと根を張っているように見える精神科の流行も、見た目ほど抜き取り難いものではなく、いずれ多くの人々がリスクを理解すれば、勢いは弱まっていくのではないか、と思う。

とはいえ、過去の流行のほとんどは、(前に取り上げたタラント病と聖ウィトスの踊りや吸血鬼信仰などのように、)孤立した局地的なもので、おのずから限界があった。

現在の新しい流行は、商品化されたり、社会構造の一部になりつつあるのである。

さて、多重人格障害(MPD)がヨーロッパで、よく知られるようになったのは、20世紀への変わり目の頃である。

当時、カリスマ性に富んだ神経科医シャルコー(→前回のビアードもそうでしたね.....)がハーメルンの笛吹き役となった。

シャルコーは、睡眠術を、ただの人気の座興から一般的な治療法にすることに尽力した。

催眠状態は、それまで、自覚意識の外に置かれていた、受け入れ難い感情や空想や記憶の衝動を明るみに出した。

「暗示にかかりやすい患者」と「暗示にかかりやすい医師」が協力した結果、個人には、ひとつにかぎらず、複数の隠されたパーソナリティーが在るという概念が作り出された。

「解離」という現象を通じて、この隠されたパーソナリティーは独立した存在となり、ときには手に負えなくなって、主人格はその行動をコントロール出来なくなる。

主人格がそれを意識すらしていないこともある。

これは、「個人の苦痛と不快のメタファー」を、一見すると「筋の通った病気」に転換するものであり、拒絶した感情に対する本人の負い目も軽くした。

矛盾しているようであるが、パーソナリティーの多重化を引き起こしているとされた解離の治療法は、催眠術によって解離をなおさら助長することになった。

目標は、「交代人格」が表に出てくるように仕向けて、ひとつの統一体へと融合することにあったのである。

催眠治療は、総じて、この「想像上」の病気を治すよりも、進行させる、という当然の結果をもたらした。

そして、隠されパーソナリティーは、分裂したままで、増え続けたのである。

幸い、セラピストと患者が、
「催眠術は有害無益である」とついに悟ったので、催眠術はあまり使われなくなった。

多重人格障害は、催眠術師が精神分析医に取って代わられたときに消え去ったのである。

精神分析医は、抑圧されたパーソナリティーの統合より、抑圧されて断片化した衝動や記憶に患者の注意を向けさせたのである。

1950年代半ば、H・M・クレックレーとC・H・セグペンが共に著した『私という他人』が出版されて人気を博し、「イブの3つの顔」として映画化されたことがきっかけとなって多重人格障害は束の間、回復した。

長続きしなかったのは、大部分のセラピストが精神分析の訓練を受け、多重人格障害に興味を持たなかったからである。

多重人格障害の中核的な患者を新たに作り出すだけの意志と能力がある中核的セラピストはいなかった。

1970年代にF・R・シュライバーが著した『失われた私』が出版されたときは、流行はもっと長く続いた。

多重人格障害の症例数は急増し、流行が流行を呼んで1990年代初めにピークに達したが、発生したときと同じくらい唐突に終息した。

多重人格障害の復活を後押ししたのは、催眠術などの「交代人格」を表に出すための逆行的、暗示的治療に、セラピストたちが改めて興味を持ったことであった。

......。

多重人格障害は、いわばメタファーがひとり歩きしたにすぎない。

すべてではないにせよ、ほとんどの多重人格障害の症例は、悪気はないが思い違いをしたセラピストたちが作り出したものである。

何が起こっているか、わかっていないのは、患者もセラピストも同じだったのである。

「暗示にかかりやすいセラピスト」が「暗示にかかりやすい患者」を治療すれば、ありふれた精神科の問題をおしなべて多重人格障害にしてしまうことは難しいことではない。

自己認知に反する、脈絡がなくて、受け容れ難い衝動や行動に一貫性を与えるために、患者と医師が「交代人格」を呼び出して告発するのである。

それが、独立した存在だ、と想定するのは、そこから大して飛躍しているわけではない。

情報と支援を即座に与えられる、その頃勃興しつつあったインターネットの力も、この流行を煽った。

しかし、保険会社が支払いを止め、疲れたセラピストが現実に目覚めると、多重人格障害の治療を求める声は激減した。

多重人格障害の熱心な擁護者たちは、パーソナリティーを次々に増やすというパンドラの箱を自分たちが開けてしまったことに気づいたのである。

彼ら/彼女らの患者の症状はたいてい悪化の一途を辿ったし、大幅に悪化するときもあり、治療の面でも、生活の面でも、彼ら/彼女らには、自らが作り出した多重人格障害の患者を扱えなくなっていたのである。

そのようなケースを少なくとも100はみたという精神科医によると、ほとんどの人は、1980年代末から1990年代初めにかけて、流行がピークを迎えた頃に、一斉に病気になっていたそうである。

そして、例外なく、患者がこのテーマに関心のある精神療法士の治療を受け始めたり、インターネットのチャットグループに参加したり、同じ問題を抱えた誰かに会ったり、多重人格を描いた映画を観たりしたときに限って、新しいパーソナリティーが生まれていたそうである。

ちなみに、この発見?をした精神科医は、多重人格障害が続発性の病型ではないかと思っているそうである。

今、ありがたいことに、世界は少しだけ足を止め、多重人格障害から、遠ざかってくれたが、将来、「また」大流行は起こるであろう。

多重人格は、
「暗示にかかりやすい患者」と「暗示にかかりやすいセラピスト」にとって根強い魅力があるらしく、休眠状態からの返り咲きを狙っている。

大ヒット映画やセラピストたちの週末の研究会次第で、いつでも、新しい流行は起こりうる。

10年後か、20年後か、もう少し先であってくれるのかわからないが、新しい世代のセラピストが過去の教訓を忘れたとき、再び流行がはじまることは、想像に難くないだろう。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

暑いですね^_^;

体調管理に気をつけたいですね( ^_^)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。


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