豪雨のなか、成田を飛び発ったJALは定刻どおり、ローマ空港に着陸。翌日から、ローマ→フィレンツェ→ヴェネツィアと2泊づつしながら、各地を巡り、ミラノ空港から帰国した。のんびりとした楽しい旅だった。気温はほぼ東京と同じ・・・町中に、こでまりや、藤、つつじが咲き、タンポポはもう綿毛をフワフワ跳ばしていた。しかし、やや北にあるミラノやヴェネツィアは肌寒く、ダウンコートやオーバーを着込んだ人々も多く見かけた。
イタリア旅行は歴史で知ったことが今、現実に自分の眼の前に出現する驚きがある。興奮のあまり、言葉を失う。そんな旅だった。メディチ家が収集した美術品を公開しているウッフィッツイ美術館近くの市庁舎ビルからは、HUMAN RIGHT IN TIBETと書いた赤い布が吊るされ、世界情勢にも目を配る人々の意思も感じたが、街は歴史的遺産に満ち溢れて、美しい。
ヴェニス(ヴェネツィア)のゴンドラに乗るのはちょっと興奮の境地だった。私にとっては、絵本の世界にひきずりこまれたみたいだ。舟のこぎ手(ゴンドリエーレ)は力強い口調で、君はあそこに、あなたはここにと坐る場所を指定した。私は指図されるまま、先端の席に坐ったが、どう考えてもゴンドラの左右の重量バランスが悪い。今にも、片側から傾き、乗客は水没しそうである。なぜなら、片側にだけ体重の重い人を二人坐らせ、軽い人が一人反対側に坐っている。舟はあきらかに傾き、片側は海面に沈みそうである。そこで、重い人と軽い人が席を交換しようとすると、ゴンドリエーレは動くな、そのままにしていろと怒鳴った。しかたない。私たちは素直にゴンドリエーレの命令に従った。
舟は動き出した。海面をしばし漂い、それから、いりくんだ運河を巡る。このとき、初めて、ゴンドラは斜めの重量バランスで動き、細いくねくねした運河を渡り歩く乗り物だと納得した。運河の水面から突き出ている杭に、ゴンドリエーレは片足をひっかけて、舟を推進させたり、櫂を漕いだり、橋の下では、頭をこごめて、運河を巡る。舟はゆ~らゆ~ら進んだ。ワクワクする舟旅だった。
ゴンドラを降りる時は老いたゴンドリエーレだろうか、老人が力強く片手をとって、ゴンドラから引き上げてくれた。誰も舟から落ちる人はいなかったけど、誰もが舟が転覆しそうな不安をかかえたと思う。正確にいうと、私の旅の相棒だけは、全然平気と言いながら、ヴィデオ撮影を続けていた。その度胸が凄い。舟から降りると、ゴンドリエーレのかぶるカンカン帽に、私たちはお礼のチップを入れた。
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ヴェネツュアの運河をゆくゴンドラ
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運河にかかるのは宮殿と
牢屋をつなぐためいき橋