29日 秋田1区佐竹良夫事務所開き
今日、29日、共産党秋田地区委員会事務所二階で佐竹良夫事務所開きが行われました。中通後援会、医療労働者後援会、女性後援会、業者後援会、農民後援会から激励のご挨拶をいただきました。うれしいかな。木彫りの壁掛け、ネクタイ、マフラー、そして花束もいただきました。秋田1区は共産党、民主党、自民党、国民の生活が第一かわって日本の未来、そして今日になって元自民党議員かわって維新の会から出馬、全部で5人が1議席を争うこととなりました。衆議院選挙は12月4日公示、東京都知事選は今日告示、投票はいずれも12月16日です。綱領や政策が命であるはずの政党が、選挙直前に雨後の筍のように新しい政党が出てくる。これっておかしくないですか。選挙が終わればまた政策もかわるし、政党としてのこっているかどうかもわからない。こんな政党に未来託すわけには行かない。
「おりん口伝」これを書かずに死なれない」松田解子
妻と義母の郷里は協和町船岡、義父の出生地は荒川鉱山のすぐそばだ。わたしは船岡の休耕田に通っている。松田解子もちろん協和出身の作家だ。この8月ある方の紹介で「協和の鉱山と松田解子文学を伝える会」に入会した。先日、会報が送られてきた。中に「おりん口伝」の作者、松田解子自身が語った「これを書かずに死なれない」との一文があった。
これは“おりん”一人のことではないのだ。
『・・・もうそのとき50代に入っていたことと、それまでの人生でどれほどの労働者が資本と戦争と時代に痛めつけれたか、殺されたか、まして自分の生い育った鉱山ではどうだったか、鉱山衆全体はどうだったかを考えると寝付かれなくなるような思いだった。・・・・秋田県の、その鉱山近辺の農民の生き様を調べ、明治維新のわれわれどん底の民衆にとっての意義など・・・・・知らされるにつけ、・・・・「これは“おりん”一人のことではないのだ。だからますますお前はこれを書く必要があるのだ。・・・完成まで私は朝も昼も夜も彼ら主人公たちを思ってきた。・・・・かれらの怒り、かれらの号泣、かれらの肋骨のありよう、目やに、ぼろ、あかぎれ、くいっぷり、呑みっぷり、歌いっぷり、などが・・・・」
1960年の安保闘争も忘れない
そして最後に「この作品を最後まではげましてくれた最大のものは、1960年の大きな生の安保闘争であったことも忘れない」と。
時代がダブって見える。
(写真は2003年日本母親大会第49回秋田大会)
そばはこんなにうまかったんだ! 見直したよ
休耕田に初めてそばを植え、新そばがとれたそうです。ところが、そばを打てる人がいないとのことで、南部後援会四ツ小屋の農家の皆さんからお願いされました。行ってみると能代の「鶴形そば」の店主さんも来ていました。大晦日になると何千食も作るそうです。なんと、この「鶴形そば」は豆乳と水で練る10割そばでした。
私のほうは、2-8そば、つなぎの小麦粉2割、そば粉8割です。あまり忙しく、遠のいていたので自信が無かったのですが何とかかんとかうちあげました。鶴形そばうまい。さすがです。そばが嫌いだったという、県議会議員山内梅良さん、「そばはこんなにうまかったんだ。見直したよ」。
そう、そばは挽きたて、打ちたて、ゆでたて、三たてで食べるのが一番なんです。参加者の皆さんからも喜んで食べていただいたのは、なによりでした。お粗末さま。
いよいよ総選挙、秋田テルサ演説会 会場一杯500名!
11月23日、勤労感謝の日、午後2時から、秋田テルサで高橋ちづ子さんと一緒に演説をしました。あいにくの天候で心配しましたが、会場一杯になりました。お話聞きにきていただき本当にありがとうございました。
市議会議委員の加賀谷千鶴子さんが司会、最初に奥井地区委員長の気合の入った情勢報告、草皆さんが佐竹、そして山内県議が千鶴子さんの応援演説をしてくれました。千鶴子さん消費税などの話もわかりやすかったですが、自身が教わったという教師の話、とても感動的でした。私は、新しく出来た第二段のリーフにそって、激しく進む秋田のシャッター街、生活保護バッシングから見える貧困問題、さらに秋田をどうやって元気にするか、どのような仕事をつくり雇用問題を解決していくかその方向を提案しました。終わってから皆さんお一人お一人と握手をしましたが、私のほうがたくさん元気をいただきました。
さーいよいよ総選挙だ! がんばるぞ!