この記事の見出し画像を見てこの川の名前を当てることが出来る人間が果たして何人いるだろうか。
世の中には全国津々浦々の滝を巡るような物好きもいるので、そういった人の目に留まればあるいは即座に解答できるかもしれない。しかし私の過疎ブログが、大衆はおろかニッチな趣味の人間の目に留まることなどおそらくはないだろう。
エッセイストである山本素石の書籍にこんな様なことが記されている。素石がある釣り雑誌の記者から取材を受けた際に言われたことによれば、海釣り師は開放的で陽気な人が多い一方で渓流釣り師は閉鎖的で陰気な人が多いと。
素石は1988年に既に亡くなっており、この取材を受けたのはおそらく昭和の中頃〜後期であると考えられるが、この記者が釣り人別に抱く印象に関してはつい声を出して笑ってしまったのと同時に、既に2世代先の令和となった現代においてもその名残りは色濃く受け継がれていると考えます。
海が近い釣具店なんかで店主に釣果情報を聞けば新鮮で有力な情報を惜しげも無く教えてくれますし、大手の釣具店なんかはホームページや店先のホワイトボードで海釣りの情報を事細かに書き記してさえくれます。
一方で渓流に関してはどうですか。インターネットで調べてもろくな情報もなく、もちろん釣具店のホワイトボードにヤマメやイワナの釣果情報が記されていることなどありえません。その上釣り場ですれ違っても挨拶こそするものの釣果を偽ったり、詳細な情報は頑なに伏せたりと、令和の時代になっても未だに渓流釣り師がいかに閉鎖的かつ秘密主義者であるかということが見て取れます。
ここまで改めて読んでみると渓流釣り師って陰気臭くて取っ付きにくい様な印象に見受けられてしまいそうですが、私はそれで良いと思うのです。海と違って渓流は場所が特に限られてしまいますし、種の保全の観点からいっても、秘匿され続けてきた渓の存在を大衆が知ることは望ましくないと思うのです。
正直言うと「自分だけが知っている場所を他人に知られたくない」という独占欲が私を含めた渓流釣り師の本音ではあると思うのですが。そういった人達は往々にして自分達が今後もそこで釣りを楽しむために、キャッチアンドリリースを徹底して、人の手で渓魚を枯らさぬ様にと意図せず取り計らっているのです。
しかし、科学技術が日々進歩する現代。スマホが一台あれば現地へ行かずともどこに川や山道があるかなど容易に調べることが出来ます。
渓流釣り師達が秘匿してきた隠し沢も、全てが暴かれる未来がすぐそこにあるのかもしれません。