-1969年7月-
ポリープ除去手術の後、2週間は激しい運動(山登り)と飲酒は禁止とのこと。
食べるものもかなり制限をされていて、中々つらい状態が続いている。
ということで、ブログアップの材料がないので少しだけ思い出話をさせていただきたい。
私が山登りを本格的に始めたのは、高校2年の時に山岳部に入ったことからだ。
何故1年から入らなかったかというと、五つ上の兄が高校、大学と山岳部で登っていて、
岩登りから冬の剱なども行ってたので、親が心配して「あんたはまさか山岳部には入らんやろうね!」
と、キツく禁止されたこともあって、不満ながらも剣道部に入ってしまう。
その剣道部になじめなかったこともあって、半年でやめてしまった。
そして、2年になったとき同じクラスに山岳部に入ってるAがいて、
同じ学年が二人で少ないので入らないか、との誘いを受けた。
その誘いにのり5月頃に山岳部に入ることにした。当然親には相談もしなくて!
そして、その年の夏の遠征が北アルプスの「槍ヶ岳」だった。
計画では、七倉から入山、湯俣から伊藤新道を登って三俣蓮華、双六経由で西鎌から槍ヶ岳だったと思う。
その伊藤新道の記事が朝日新聞に掲載された。8月12日(夕刊)
その記事を読んで、そう言えば伊藤新道のことは久しく聞かなかったかな?と懐かしく思い、
思わず昔のアルバムを取り出してじっくりノスタルジックな気分になってしまった。
そうしていると、また8月16日の朝刊に
ふむふむ、なんでこんなに伊藤新道へこだわるのか?と思ったりもしたけれど、
まぁ、40年ほど途絶えていた懐かしの伊藤新道が復活するのはとってもうれしい!
そんなこともあって、新たなカテゴリ「思い出の山行」を作ってしまった。
そして、昔の写真をスキャンしようとしたらアルバムから剥がれないので、
写真をスマホで撮ることにした。
遠い昔のことで記憶が定かではないが、七倉か湯俣のキャンプサイトでの一枚か?
山岳部顧問のT先生と
そして、伊藤新道へと登りはじめる時のかな
自分でも摩訶不思議、こんな時があったんだね、私にも!
まだまだ駆け出しの高校生、吊り橋を慎重に渡る
うーん、こんな景色だったかな?
顧問の先生が山登りの素人だったんで、6学年上の先輩がお二人参加されていて
キツい登りの中、いい写真を撮ってくれた
初めての北アルプスだったけれど、かなりハードなルート!
やっぱ時代が違うね!背負子とキスリングだもんね!
こんな吊り橋が架かっていたんだね!(これはネットから)
今と違って、とっても若かったんで馬力満々でバテ知らずだった?
難所を通過してほっとした場面かな?
三俣蓮華でテントを張ったか、双六まで行ったかははっきりしないけど
双六で台風に遭って2~3日沈殿!
そして、予備日がなくなって「槍ヶ岳」を諦めて小池新道を下って新穂高へと下山。
そんな懐かしい初めての北アルプス遠征だった。
この時、暴風の合間に見た双六池のほとりの「クロユリ」が忘れられない。
写真はないけれど、誰かが「クロユリ」が咲いているじぇ!と言って慌てて見に行った!
こうしてふり返ってみると、「伊藤新道」が私の山登りの原点になったのは間違いない。
その後も、それこそいろんな所に登っているんだけれど機会があればそれらも取り上げてみたいとは思う。
果たして、長続きできるのかどうか、あと少しすればまた花々が待っているし、鳥さんも待機中!
どうなることやら、先行き不透明ということかな?
くじゅうへいくのも汽車はバス利用で3日がかりでした
そうでしたね、ニッカポッカとロング靴下。
それがその当時の山スタイルでした。
それに、まだしゃれたレインスーツなんかもなくてポンチョですね!
コンロも灯油燃料のスベァーでした。
久しぶりに、昔のアルバムを引っ張り出しましたが、少しだけほっこりでした。