空模様

わがまま老女の視野狭窄ときどき日記

独居生活の危険

2009-11-12 22:54:00 | 日記
私の母のことで、てんやわんやしている間に、従姉が大変な事になっていた。
やっと20日祭も終わったし、
さぁ、洋子姉さんどうしちゃったのかと心配になり連絡するも留守。
これが2週間前。
いつもは一週間に一度とは言わず、自分の体調が悪いとのべつ幕無しに電話があったのに
ここ一か月電話が無かったのだ。
洋子姉さんの母方の従兄妹さんからも、電話があり心配しておられた。

つい数日前までは
姉さんの自宅へ電話を何度も掛けて、最初は着信音だけで出なかったから
一人住まいで、死んじゃったのかと心配した。
そして今日朝一番にかけたら、「ご自分の都合で・・・・」のガイダンスが流れる。
と言う事は、家も電話もそのままだということ。
死んじゃってしまってるということではないと確信し、探す決意をしたのだ。


それで、やっと「偲ぶ草」のお届けも終わった今日探すことにした。
まずは姉の住んでいる街の市役所へ、社会福祉課、そして高齢者福祉、介護センター
そして、在宅介護の施設、医療介護の施設。

それでたどり着いたのが、医師会介護包括支援センター、そして医師会病院。
名前を言い、持病があったこと、独居で、足が少し不自由で在宅支援を受けていることを言うと
調べてくれて、

いた!
入院しているとの事。
この電話攻めをしたのが午前中9時前から。
そして洋子姉さんを担当しているケアマネさんから説明電話があったのは
夕方5時半過ぎ。
本日退院されて、今さっきまで自宅でお世話してて、、、、、との事だった。

安堵。
自宅へ戻り食事をすませ、電話した。
声は元気そうだった。良かった。

今までの説明は こうだ

いつも行く街からちょっと離れたところへ出かけた。
そしてその街で買い物をしている時に

倒れた。

脳梗塞だった。

周りの通行人が驚き救急車を呼び病院へ運んでくれた。

バッグの中にも肌身にも何も身元が判るものが無かった為、最初は身元不明者扱い。
このまま死んじゃったら無縁仏になるところだった。

ところが、運ばれた病院にたまたま来ていた訪問介護士さんで友達だったかたが
彼女を見て判った。

それで過去のカルテを取りよせてくれて、

命を取りもどした。

らしかった。

意識が戻るまで時間がかかり、どこへ連絡する事もなかったけれど
その友達が見つけてくれた救急連絡先が、姉さんの兄の家だけ。
その兄とは私は面識も連絡電話番号も聞いた記憶もなかった。
姉とだけの付き合いだったから、今日まで判らなかったのだ。

しっかり、お説教したら今度は判ってくれた。
70歳過ぎたのだから、しかも身体が不自由なのだから、一人暮らしはいい加減やめて。

外で倒れたから病院へ即運ばれて助かったけど、自宅で倒れたなら、誰も居ないんだから
死んじゃっているよ。と。

彼女も今度ばかりは納得したようだ。
一年前に伴侶を亡くし、寂しくてその思い出の中に埋もれて暮らすのも結構だけど
一人で生きる決心をしたなら、沢山の友達を作れる場所を探して外部活動しなくちゃね。

年内中に会いに行くから、それまでに決めといてと電話を切った。
安堵の怒りだって、彼女は判ってくれて、これだけ電話で探したのを感謝してくれた。

私の亡妹の主人も大きな屋敷に一人暮らし、
高齢になると人ごとじゃない危険が何処にも転がっているのだ。