また、国営放送 番組名「歴史ヒストリー」で、今日「金子みすず」をやってました。
山口県長門市仙崎出身の童謡作家「金子みすず」のことだ。
悲しい26歳で逝った女流アマチュア作家だった。
このみすずの人生についてや、詩を、山口県人なら大体の者たちは知っているだろう。
先日も一眼レフ練習に仙崎まで行った。
私も若かりし頃から、何でも好奇心を持つ女学生だったから、詩、短歌、俳句何でも聞きかじり読みかじったものだ。
でも、下手、って言うか才能は全く無し・・・・・。
だけど、学生の頃はこの「金子みすず」のことは知らなかった。
結婚し子育て時代に読んだのだ。
感動して、本が出るたびに買ってむさぼるように読んだし、
仙崎に女友達も居たから車をかっ飛ばしてよく行ったものだった。
それも不思議なことに、みすずの本を一番に買ったお人は 亡父だった。
「俵万智」の本をくれたのもやはり そうだった
涙を胸にいっぱいためて何度も何度も読み返した。
明るい詩だと言う人も居るけれど、彼女の詩は、心の奥深くに悲しい寂しい子供のこころを持った詩なんだから
「おとうさま 恋し おかあさま 恋し 」を土台に置いて、
沢山の愛情を彼女なりの表現で土に虫に魚に草に感ずるものすべてに注いだ詩だ。
切ないほどの純粋さが同じこころを ほんの少しでも持った記憶のある人々の胸を打つのだろう
私ももの心ついた頃、父は結核を煩い手術、入退院を繰り返し10年近くも家には帰ってこなかった。
私が父に会えるのは病院へ父の着替えを渡しに月に一度通う時だけだったし、
必死で私たち3人の子供を育て家を一人で守る若い母の後姿しか見てなかった私はいつも父が恋しかった。
だから、そんな気持ちが突き刺さるほどわかるみすずの詩だったから、読んでは泣いた。
けれど 一風変わった詩だし、そんな、小さな町の出身者でしかもアマチュアだったんだし、
世に出てもそんなに有名になるはずがないと
父も私もその当時は思っていたのだ。
それが今は何の間違いか、TVつければ、CM時間に流れる「 こだま でしょうか 」
東日本大震災が起きてからと言うものはいろんな詩があちこちで流れたらしい
こころを癒す謡であって、愛読者の一人として私も嬉しい。
父から貰った本は
わたしと小鳥とすずと 1984年出版 選・矢崎 節夫
ほしとたんぽぽ 1985年出版 絵・上野 紀子
私が最後に買ったのは
睫毛の虹 1999年出版 英語訳・絵・よしだ みどり である。
どうか、金子みすず の世界を感じて今の世を少しでも 純粋な綺麗な目でいられる時間が欲しい方
読んでみてください。
「 つゆ 」
だれにも いわずに おきましょう
あさの おにわの すみっこで、
はなが ほろりと ないた こと。
もしも うわさが ひろがって
はちの おみみへ はいったら
わるいことでも したように、
みつを かえしに いくでしょう
「 こころ 」
おかあさまは
おとなで おおきいけれど、
おかあさまの
おこころは ちいさい。
だって、 おかあさまは いいました、
ちいさい わたしで いっぱいだって。
わたしは こどもで ちいさいけれど、
ちいさい わたしの
こころは おおきい。
だって、おおきい おかあさまで、
まだ いっぱいに ならないで、
いろんな ことを おもうから。
「 こだまでしょうか 」
「あすぼう」 って いうと
「あすぼう」 って いう。
「ばか」 って いうと
「ばか」 って いう。
「もう あすばない」 って いうと
「あすばない」 って いう。
そうして、 あとで
さみしく なって、
「ごめんね」 って いうと
「ごめんね」 って いう。
こだまでしょうか、
いいえ、 だれでも。
「 たいりょう 」
あさやけ こやけだ
たいりょうだ
おおばいわしの
たいりょうだ。
はまは まつりの
ようだけど
うみの なかでは
なんまんの
いわしの とむらい
するだろう。