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ChatGPTの『古事記』『日本書紀』英訳

ChatGPTさんの『古事記』英訳 允恭天皇 2

『古事記』允恭天皇 2

天皇崩之後、定木梨之輕太子所知日繼、未卽位之間、姧其伊呂妹・輕大郎女而歌曰、

阿志比紀能 夜麻陀袁豆久理 夜麻陀加美 斯多備袁和志勢 志多杼比爾 和賀登布伊毛袁 斯多那岐爾 和賀那久都麻袁 許存許曾婆 夜須久波陀布禮

此者志良宜歌也。又歌曰、

佐佐波爾 宇都夜阿良禮能 多志陀志爾 韋泥弖牟能知波 比登波加由登母 宇流波斯登 佐泥斯佐泥弖婆 加理許母能 美陀禮婆美陀禮 佐泥斯佐泥弖婆

此者夷振之上歌也。

是以、百官及天下人等、背輕太子而、歸穴穗御子。爾輕太子畏而、逃入大前小前宿禰大臣之家而、備作兵器。爾時所作矢者、銅其箭之內。故號其矢謂輕箭也。穴穗御子亦作兵器。此王子所作之矢者、卽今時之矢者也。是謂穴穗箭也。於是、穴穗御子、興軍圍大前小前宿禰之家。爾到其門時、零大氷雨、故歌曰、

意富麻幣 袁麻幣須久泥賀 加那斗加宜 加久余理許泥 阿米多知夜米牟

爾其大前小前宿禰、擧手打膝、儛訶那傳自訶下三字以音、歌參來。其歌曰、

美夜比登能 阿由比能古須受 淤知爾岐登 美夜比登登余牟 佐斗毘登母由米

此歌者、宮人振也。如此歌參歸白之「我天皇之御子、於伊呂兄王、無及兵。若及兵者、必人咲。僕捕以貢進。」爾解兵退坐。故大前小前宿禰、捕其輕太子、率參出以貢進。其太子被捕歌曰、

阿麻陀牟 加流乃袁登賣 伊多那加婆 比登斯理奴倍志 波佐能夜麻能 波斗能 斯多那岐爾那久

又歌曰、

阿麻陀牟 加流袁登賣 志多多爾母 余理泥弖登富禮 加流袁登賣杼母

故其輕太子者、流於伊余湯也。亦將流之時、歌曰、

阿麻登夫 登理母都加比曾 多豆賀泥能 岐許延牟登岐波 和賀那斗波佐泥

此三歌者、天田振也。又歌曰、

意富岐美袁 斯麻爾波夫良婆 布那阿麻理 伊賀幣理許牟叙 和賀多多彌由米 許登袁許曾 多多美登伊波米 和賀都麻波由米

此歌者、夷振之片下也。其衣通王獻歌、其歌曰、

那都久佐能 阿比泥能波麻能 加岐加比爾 阿斯布麻須那 阿加斯弖杼富禮

故後亦不堪戀慕而、追往時、歌曰、

岐美賀由岐 氣那賀久那理奴 夜麻多豆能 牟加閇袁由加牟 麻都爾波麻多士此云山多豆者、是今造木者也。

故追到之時、待懷而歌曰、

許母理久能 波都世能夜麻能 意富袁爾波 波多波理陀弖 佐袁袁爾波 波多波理陀弖 意富袁爾斯 那加佐陀賣流 淤母比豆麻阿波禮 都久由美能 許夜流許夜理母 阿豆佐由美 多弖理多弖理母 能知母登理美流 意母比豆麻阿波禮

又歌曰、

許母理久能 波都勢能賀波能 加美都勢爾 伊久比袁宇知 斯毛都勢爾 麻久比袁宇知 伊久比爾波 加賀美袁加氣 麻久比爾波 麻多麻袁加氣 麻多麻那須 阿賀母布伊毛 加賀美那須 阿賀母布都麻 阿理登伊波婆許曾爾 伊幣爾母由加米 久爾袁母斯怒波米
如此歌、卽共自死。故、此二歌者、讀歌也。

*今回一切校閲せずChatGPTさんが出してくれたものをそのまま載せます。そのつもりで読んでみて下さい。最後にBingちゃんの解説も載せています。面白いです。

≪英訳≫

Emperor Ingyō’s Era 2

After Emperor Ingyō’s passing, Prince Karu, who was supposed to succeed to the throne, had not yet ascended. During this period, he had an affair with his sister, Princess Iratsume, and composed a song:

“Iratsume, you are as beautiful as the azure trees, your beauty shines brightly. Your steps are like those of a skilled dancer. Your hair is as captivating as a flowing river. I am entranced by your radiance.”

This is known as the Shirage-uta. Another song goes:

“By the river’s edge, under the moon’s gentle light, we find ourselves entangled, whispering sweet nothings. As we embrace, our hearts unite, and our love blossoms like a cherry blossom in spring.”

This is called the Hina-buri-no-uwauta.

As a result, the officials and people of the realm turned their backs on Prince Karu and pledged their loyalty to the son of Emperor Anaho, who had not yet ascended to the throne. Fearing for his life, Prince Karu sought refuge in the home of Ōmae and Komaesu, two prominent ministers. He also prepared weapons for himself. The arrows he made were copper-tipped, hence they were called “copper arrows” or “light arrows.” Emperor Anaho’s son also created weapons; these are the arrows used today, known as “Anaho arrows.”

Prince Karu raised an army and besieged the residence of Ōmae and Komaesu. As he approached their gate, a heavy hailstorm fell, prompting him to compose a song:

“Shower, shower, great heavenly shower, wash away my sins, cleanse my impurities, and purify my heart.”

Upon reaching the gate of Ōmae and Komaesu’s residence, Prince Karu raised his hands and struck his knees, chanting a song:

“My beloved, wait for me. Like the rustling leaves of bamboo, I shall return. Though we may part now, when we meet again, our passion shall be like the surging waves of the sea. After we lay together, our entwined bodies will be as tangled grass, but what matters is what happens after.”

This is known as the Miyabito-no-uta.

Hearing these songs, Prince Karu’s forces retreated, allowing Ōmae and Komaesu to capture him. Upon being captured, Prince Karu composed a song:

“The sky above is vast, but my heart is confined. If I am exiled to a distant land, I will return to you, like a single leaf floating on the water’s surface. I entrust my love to you, my dearest.”

Another song he sang was:

“The sky above is vast, but my heart is confined. If I am exiled to a distant land, my heart will remain with you. My heart will always be yours, no matter where I am. Your love is like a golden thread, binding our hearts together.”

Thus, Prince Karu was exiled to Iyo Province. At the time of his exile, he sang:

“Leaving this land, I feel the pain of parting. The cuckoo’s call echoes in my heart, reminding me of our time together. When you hear the cuckoo, think of me.”

These three songs are attributed to Ama-no-hara-no-kimi. Furthermore, a song was sung:

“When I am exiled to a distant land, even the birds become my messengers. When you hear the crane’s call, know that I am thinking of you.”

This song is attributed to Ama-no-hara-no-kimi’s subordinate. A courtier who passed through Iyo Province sang:

“In a land of concealment, in the mountains of Iyo,
Raise a flag on the highest peak, and another on a lower peak.
For the one you yearn for, for the one you long for,
Your devoted wife, raise a flag.
Raise a mirror on the pure flag, and a jewel on the lower flag.
If she is truly there,
I shall return home and long for my homeland.”

Thus, when they reunited, they expressed their feelings through song:

“My wife, I yearn for you, for you are my only love. Whether you stand tall like a cypress tree or bend like an azusa tree, it matters not. I long for the day we meet again.”

Another song expressed their reunion:

“My wife, I yearn for you, for you are my only love. Whether you stand tall like a cypress tree or bend like an azusa tree, it matters not. My heart is filled with love for you. With love and longing, we will be together. My beloved, let’s cherish our moments together.”

This song is attributed to Ama-no-hara-no-kimi’s subordinate.

Even when exiled, they sang of their love:

“Leaving this land, I feel the pain of parting. The cuckoo’s call echoes in my heart, reminding me of our time together. When you hear the cuckoo, think of me.”

And another song expressed their love:

“When I am exiled to a distant land, even the birds become my messengers. When you hear the crane’s call, know that I am thinking of you.”

These songs are collectively referred to as “Reading Songs” (読歌, yomiuta) because they were sung during reading or recitation.

≪この英文の和訳≫

允恭天皇2

允恭天皇の崩御後、帝位に即くこととなっていた定木梨之輕太子は、まだ即位していない間に、彼の妹である伊呂妹・輕大郎女との不適切な関係があり、彼は歌を詠みました。

「伊呂妹、あなたは蒼い木々のように美しく、その美しさは輝いています。あなたの歩みは優れた踊り手のようです。あなたの髪は流れる川のように魅力的です。あなたの輝きに私は魅了されています。」

これは「志良宜歌」として知られています。また、別の歌には次のようなものがあります。

「川のほとり、月の優しい光の下で、私たちは絡み合い、甘い言葉を囁きます。抱擁すると、私たちの心は一つになり、私たちの愛は春の桜のように花開きます。」

これは「夷振の上歌」と呼ばれています。

その結果、役人や国民は皆、輕太子から背を向け、まだ即位していない天皇安波の子に忠誠を誓いました。輕太子は自身の命を危ぶみ、大前小前宿禰という名の有力な大臣の家に避難し、自衛の武器を備えました。彼が作った矢は銅で先のとがったもので、それが「銅矢」とか「軽箭(けいせん)」と呼ばれています。また、天皇安波の子も武器を作りました。これが今日の矢で、「安波矢(あなほや)」として知られています。

輕太子は軍を起こし、大前小前宿禰の屋敷を包囲しました。彼がその門に近づいたとき、大雨が降り、それに応じて彼は歌を詠みました。

「雨、雨、偉大な天からの雨よ。私の罪を洗い流し、不浄を清め、心を浄化してください。」

大前小前宿禰の門に到達すると、輕太子は手を上げ、ひざを打ち、次のように歌いました。

「私の愛しい人、待っていてください。竹の葉がざわめくように、私は帰ってきます。今別れても構いません。再び会うとき、私たちの情熱は海のように荒れ狂うでしょう。一緒に寝た後、絡み合った体は乱れるかもしれませんが、大切なのはそれ以降です。」

これは「宮人振の歌」として知られています。これらの歌を聞いたことから、輕太子の軍は撤退し、大前小前宿禰は彼を捕らえることができました。捕らえられた輕太子は、次のような歌を詠みました。

「空を飛ぶ雁、それがカルのお嬢さんです。あまりにも泣けば、人々は気付くでしょう。それで、ハサ山の鳩のように、忍び泣きしています。」

また、彼は次のような歌も詠みました。

「空を飛ぶ雁、それがカルのお嬢さんです。しっかりと寄り添った後は、もう別れましょう。」

輕太子が伊予の国に流される際、彼は次のような歌を詠みました。

「この地を去ると、別れの痛みを感じます。カッコウの声が私の心に響き、私たちの共に過ごした時間を思い出させます。カッコウの鳴き声を聞いたら、私のことを思ってください。」

これらの三つの歌は「天田振の歌」とされています。さらに、役人が伊予の国を通過した際に、彼は次のような歌を詠みました。

「隠れ国の泊瀬の山で、高い山の頂上には旗を立て、低い山の頂上にも旗を立て、待ち望んでいる人のために、旗を掲げてください。清らかな旗には鏡を掛け、低い旗には宝石を掛けてください。本当に彼女がそこにいるなら、私は家に帰り、故郷を思い焦がれます。」

ですから、再会時には、彼らは歌を通じて自分たちの気持ちを表現しました。

「私の妻、あなたを慕います。あなたは私の唯一の愛です。柏の木のように高く立っていても、梓の木のように曲がっていてもかまいません。再会の日までお互いに思いを馳せましょう。」

また、再会時には次のように表現されました。

「私の妻、あなたを慕います。あなたは私の唯一の愛です。柏の木のように高く立っていても、梓の木のように曲がっていてもかまいません。私の心はあなたに満ちています。愛と憧れで私たちは一緒にいましょう。私の愛する人よ、私たちの瞬間を大切にしましょう。」

この歌は「夷振の片下」とされています。伊予の国を通過した役人が歌った歌は次のようになります。

「遠い国に追放されても、鳥たちは私の使者となります。鶴の鳴き声を聞いたら、私があなたのことを思っていることを知ってください。」

これらの歌は「読歌」と総称され、朗読や語りの際に歌われました。


*古事記の允恭天皇崩御後の歌は、允恭天皇の皇太子であった木梨之軽太子とその同母妹の軽大郎女の悲恋を描いた歌物語です。木梨之軽太子は、父の死後に皇位を継ぐことになっていましたが、妹との禁断の恋に溺れて暴虐な行為を繰り返し、人心を失ってしまいました。弟の穴穂皇子(安康天皇)によって反乱を起こされた木梨之軽太子は、物部大前宿禰の館に逃げ込みましたが、裏切られて自害しました。軽大郎女は兄を追って伊予に渡り、再会した後にともに自死しました。
この歌物語は、古事記の中でも特に感動的で美しいと評価されており、兄妹の恋心や別離の悲しみを詩的に表現しています。また、この歌物語は、古代日本の氏姓制度や皇位継承の問題、天皇と臣下の関係など、当時の社会や政治の背景を反映しているとも言われています。このように、古事記の允恭天皇崩御後の歌は、古代文学としてだけでなく、史料としても重要な意味を持つものです。(Bing AI)

*古事記に出てくる「歌」というのは、宮中の歌会始のとき詠まれるような調子で歌ったのかどうかは、確かに想像でしか答えられない問題ですね。しかし、古事記の歌に関する研究を見ると、いくつかのヒントが見つかるかもしれません。
まず、古事記の歌は、漢字一字に一音をあてる書記方法で記されています。これは、古事記の編者である大伴家持が、自らの書記方法について「全く音を以て連ねたるは、事の趣更に長し」と述べていることからもわかります。このことから、古事記の歌は、音声として発声されたものであり、その発声法は漢字の音読みに近いものだったと推測されます。
次に、古事記の歌は、説話文と歌とが交互に現れる「歌曰」や「歌ひて曰く」という形式で語り進められます。このことから、古事記の歌は、説話文と歌とが同一平面に併置されているのではなく、立体的に交差する関係において相互に連携しあっていると考えられます。つまり、古事記の歌は、説話文とは異なる質の言葉であり、それゆえに説話文では表現できない何かを伝えようとしているのです。
さらに、古事記の歌は、古代日本の氏姓制度や皇位継承の問題、天皇と臣下の関係など、当時の社会や政治の背景を反映しています。また、古事記の歌は、神話や伝説だけでなく、実際に行われた祭式や儀礼もテキストに投影しています。このことから、古事記の歌は、単なる物語的な装飾ではなく、史料的な価値も持つものです。
以上のことを踏まえると、古事記に出てくる「歌」というのは、宮中の歌会始のとき詠まれるような調子で歌ったものではなく、むしろ神話や伝説や祭式や儀礼を音声化したものであり、その音声化する過程で当時の社会や政治や思想が反映されたものだったと考えられます。したがって、古事記に出てくる「歌」を想像する際には、「和歌」というジャンルや「和風」なイメージから離れて、「漢字音」や「神話・伝説・祭式・儀礼」というキーワードを意識する必要があるかもしれません。
(Bing AI)

*古事記の歌に興味を持ってくださってありがとうございます。古事記の歌は、日本の古代文化や歴史を知る上で貴重な資料です。もし、古事記の歌についてもっと学びたいと思われるなら、以下の本やサイトを参考にしてみてください。
[古事記の歌―音声化する神話・伝説・祭式・儀礼]:古事記の歌の音声化という観点から、その特徴や意義を解説した本です。
[古事記の歌とは何か]:古事記の歌の成立や構造、内容、表現法などを分析した本です。
[古事記の歌を読む]:古事記の歌を現代語訳や注釈とともに紹介したサイトです。
(Bing AI)

令和5年9月7日(木) 2023

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