ちょい悪ジジイのリタイア日記

リタイア初心者が日々思う事、昔話、旅行記、etc

14才で我輩はゲン茶利に乗っていた!

2006-08-13 10:22:50 | Weblog
これ本当の話!昔は14歳になったら正確には免許ではなかったが、第一種原動機付自転車運転許可書を取れたのだ。
立川警察署に写真と、住民証を持って行くと3時間位の講習を受けるだけで、(試験も無し)許可書を交付してくれた。黒色の6枚綴りぐらいの、表紙には金文字で原動機付自転車運転許可書と書いてある。嬉しかったなー。
なんと言っても公的機関から自分の写真名前の入った公文書なのだから!もう大人の仲間入りが出来た様な気分になる。まだ中学生の自分がである。

愛車はBSである、実用車の自転車に40CC位のエンジンを後付けする駆動はリアーの車輪のリムに直にゴムローラで駆動すると言う原始的かつシンプルなものだ。切り替えは細長いレバーだけ、最初は手で操作していたが、短くレバーを切って足でやるようになる。これがまた格好がいいと評判が良く得意になってやったもんだ。

ローラーがゴムで鉄のリムなので雨の日は摩擦が不足してエンジンも掛らない。そこでメーカーさんのBSさんも優れた人材を持っていた、リムにスポークにはめ込むビニールみたいなリングを売り出した。早速買い込み着けて見た、雨でエンジンが掛らずしょうがなくペダルをこいで走る大人達を尻目にびんびんと得意になって走るのは気分がよかった。

アクセルも最初は上がチョーク・下がスロットルのレバーだったが、グリップ式に改造した。チョークレバーはグリップの先へ付けた。自転車通学の友人の体を押し中学へ良く乗って行った。学校の規則にはエンジンの付いた自転車で通学してはいけませんなんて項目はまだ無かったので大威張りだ。高校にクラウンで通った時も規則にはまだ車通学禁止なんて言うのは、今で言う想定外の事で書いてないのだ。先駆者はいつもねたまれるものだと言う実感はいつもあった。音がうるさいとか、スピードが出て危ないとかクレームは少しはあった。

それから少したってスズモペットなる格好のいいオートバイが出てきた、でも値段が高い!親父に直ぐ買って欲しいなんて事は言えなかったな。我が中学でもエンジンつきに乗っているにのは我輩1人だけだったのだから。16で小型自動車運転免許書を取ってから、トーハツの90になり、125になり、やがて250のトーハツハリーに乗った時が自分のオートバイの1番最高だった。

其の頃のホンダはオイル漏れはするし、煙は吐くし、力は無いし、余り人気は無かった。それが今ではF1で勝ちまくり世界のホンダである。コンナ展開は誰が予想したか、やっぱり本田宗一郎は凄かったなー。

トーハツハリーでは警視庁の横でのシグナルグランプリが夜中に開催されるので良くエントリーしたもんだ、たまに頭を取った時もあった!決して暴走族では無い、一般の車は夜中は皇居前など走っていない時代だったから。チョイ悪爺の青春の淡い思い出であった。
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2 コメント

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こういうのがいるから・・・・ ()
2006-08-17 08:44:51
>>学校の規則にはエンジンの付いた自転車で通学

>>してはいけませんなんて項目はまだ無かったの

>>で大威張りだ。高校にクラウンで通った時も規

>>則にはまだ車通学禁止なんて言うのは、今で言

>>う想定外の事で書いてないのだ。



こういうのがいるから、我々の世代は規制ばかりに

なってしまったんだな。



>>先駆者はいつもねたまれる



先駆者がしっかりしていれば・・・・・・



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?さんへ (よう爺)
2006-08-17 11:47:23
ねっ!ねたまれるのは正解でしょ!

こういう事なんだなー!アヒャヒャヒャ(゜∀゜)ヒャヒャ( ゜∀)ヒャヒャヒャ(  ゜)ヒャヒャ(  )ヒャヒャ(゜  )ヒャヒャ(∀゜ )ヒャ
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