ちょい悪ジジイのリタイア日記

リタイア初心者が日々思う事、昔話、旅行記、etc

我輩のアマチュア無線時代(かな氏婦ルー意お話)

2006-07-14 09:59:12 | Weblog
おはようさん、ロング、タイム、アゴウー我輩は電話級アマチュア無線技師だった。
無線局の局長である。小学4年の頃近所にハムの叔父さんがいて、
毎日CQCQをわめいていたので、自然に呼び出しのCQCQをマイクに向かって叫んでいた。

とうぜんA1のツウーコール!まだご健在かなー?
20歳を暫く超えてコールをとりハム生活が始まった。
144も5,6チャンネル位の時代200チャンのミッターを買ったときの嬉しさは、格別であった。
モービルハムの誕生だ8分の5のアンテナをルーフにつけマイク片手に通勤の時間帯の運用だった。まだFM機である。

其のうち仲間が増えモービルハムクラブを作り、月1回アイボールミーティングなので、あちらこちらよく出かけたものだ。毎週のロールコール懐かしい、皆今どうしているのか?HFをやらないか、と言うことで、TS520Xを10台マトメ買い、さすがメーカーも飛んできて料理屋の2階で説明会を開いてくれた、ビギナーに親切な説明があった。

その何日かあとなんと、西ドイツと交信ができた。日本人の外交官のXさん(奥さん)で、「これからレッスンがあるので」と言う、もちろん日本語で、「車の免許ですか」とたずねると「エアープレーンです」だと!2度びっくり。「日本からのお土産は週刊誌とか、雑誌が1番うれしいな」と言う。ネットもファクシミリも無い時代旅行者が持って来る物が1番早いのである。

固定(家)開局したときも21でえんえんCQをぶちかましていたら、Wから応答があった、やったー!初のW(アメリカ)QSO(通信)で血湧き骨踊りのどはカラカラ、へたくそ英語でやたら単語を連発なんとか通じたかな?20分位したら、「あなたの英語なかなかお上手ですねー!」と、なんと!日本語で返事が返ってきたではないか!

それからは、流暢な日本語の会話になり、序序に汗がひいてきた。北千住に5年住んでいたそうだ、いまはリタイアーしてカルホルニアで隠居生活をしているとのこと。「リニアアンプ電気代がもったいないので、切りますよ」といってOFFにしても59オーバーで良く入ってくる。さあー恐ろしいファイナルだ!何千何万局がワッチ(聞いて)いるのだ!

日本語をしゃべるW局はめったなことではお目にかかれないのだ!パイルアップ!ドッグパイル!いっぺんに何千局がわめきだし、ワーンと、重なり声にならない!Wの局長さんそうそうに電断したのは、やむをえないだろう。

(アップロードがようやく回復したので、タイトルに関係なさそうでも、1枚飾りに入れてみました、これは今年の正月箱根から撮った富士山です。)
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