以前「臨床実習」というタイトルでブログを書きました。
つい先日、無事に臨床実習が終わりました。
実習を終えて、自分の中にある想いを文字にして吐き出してみます。
自分が今回経験した臨床実習では、患者さんとコミュニケーションをとって患者さんの身体の検査をさせてもらいました。
実習に行って初めて知ったこと・分かったことが数多くありとても実りある実習となりましたし、実習が終わって「もっと勉強したい」という学習意欲も湧いてきました。
でもどういうわけか、実習を終えて一息付こうとしても心に何か引っかかるものがありました。
「実習も終わってせっかく春休みに入るのになあ。一体何なんだろう。」そんなことを思いながら、地元に戻る新幹線に乗りました。
実家の最寄駅に着き、母が車で迎えに来てくれました。帰省する前日に母からLINEで「いつ迎えに行けばいい?」と連絡が来ていたので時間を伝えたところ、その時間よりも早く駅に来てくれたのですぐに車に乗り込み実家に向かいました。
実家に着くとちょっと小腹が空いたので冷蔵庫に何があるか物色すると、牛タンを見つけました。どうやら兄が帰省する時にお土産として買ってきたらしいので、ありがたくそれを頂戴しました。(牛タンはすごく美味しかったです)
このとき、ふと「自分がどうしてモヤモヤしていたのか」何となくわかった気がしました。
自分は人に与えられるばかりで、人に「何か」を与えたことはあるのだろうか…
臨床実習は本当に緊張しました。患者さんを前にすると、冷静さを無くし頭の中で思い描いていた検査手順が一瞬で吹っ飛んでしまいました。
「まだ学生だからしょうがない」と考えることもできます。指導してくれた先生からアドバイスを頂き、一日に何人もの方を見たことで徐々に慣れていき、ある程度スムーズに検査を行うことができるようになりました。
ですが、臨床実習中に患者さんとどのように関わっていくかを全く考えていませんでした。
患者さんへの挨拶、インフォームドコンセント、検査の説明、検査結果の説明を形式的に行っていただけで、「患者さんがどんな表情をしているのか」「声のトーンの高さは適切か」「患者さんとの距離感はこれでいいのか」、そもそも「患者さんは検査に協力的なのかどうか」全く見えていませんでした。
自分が緊張するとそれが患者さんに伝わり、患者さんも固くなってしまいます。患者さんと顔を合わせるときに一切表情を変えないのは、それだけでその人を不安にさせてしまうことになります。「少しの笑顔でも見せればよかった」と反省しています。
病院実習の機会を与えられたことを当たり前だと思っていなかったか、「半人前」にすらなっていない学生が行う検査に患者さんが無条件に協力してくれると思っていなかったか、母が駅に迎えに来てくれたことを当たり前だと思っていなかったか、兄がお土産を買ってきてくれたことを当たり前だと思っていなかったか。
「世界でもっとも貧しい大統領」として世界的にも有名であるウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領はこんな言葉を残しています
『人生はもらうだけでは駄目なのです。
まずは自分の何かをあげること。
どんなにボロクソな状態でも、
必ず自分より悲惨な状態の人に何かをあげられます。』
医療者として、人として、自分は何かを与えられる人間でありたいと決意を新たにしました。
ブログを読んでいただきありがとうございます。
それでは失礼します。