耶馬渓は、名勝地の多いところで一日ではとても回れないほど数も多く、かつ広いエリアに散在しています。
その数多い名勝地の中でも最も有名な名勝地は耶馬渓入口に当たる青の洞門と競秀峰が同時に見られる場所でしょう。
この地には、隠れた名所として日本一長い石橋の耶馬渓橋(別名オランダ橋)があります。
青の洞門は危険な競秀峰の岩壁を渡り、事故が多くそれを見た禅海和尚が手彫りでトンネルを掘ったという話は、
菊池寛の小説「恩讐の彼方に」でよく知られています。
今まで別に不思議に思わなかった「なぜそんな危険な岩壁を渡っていたのか」ということがわかりました。
深い歴史が有りましたので簡単に整理知ますね。
江戸時代になんとか農地を増やしたいということで青の洞門の下流に荒瀬井堰(あらせいぜき)を設けその水を田畑に引き込み増やしたそうです。
青の洞門以上に田畑への水路の建設が大変だったそうです。
この堰を設けたため、青の洞門のあるエリアの水かさが増え、今はそうでもないようですが青の洞門の前の山国川の水かさが上がり
「青の地区」の人々が山国川を渡ることができなくなり、仕方なく競秀峰の岩壁を伝って今の212号の道路のあるところに出てきたそうです。
その時に落下事故が多発し、見かねた禅海和尚が青の洞門を掘ったということらしいです。
青の洞門の「青」は、「青の地区」の青だそうです。
今もその荒瀬井の堰のおかげで田畑や飲水など役立っているようです。
青の洞門と山国川
ネモフィラが色を添えて、耶馬渓の景観、青の洞門、川下の遠くに耶馬渓橋の橋桁が見えます。
その少し手前に荒瀬井堰があります。
耶馬渓橋の橋桁と212号線の橋
奥の橋が耶馬渓橋で212動線の橋との間に荒瀬井堰があります。
山国川を挟み青の洞門と桜
青の洞門
向こう岸が当時の手彫りの部分で明かり取りの窓になります。
こちらの川辺にはネモフィラが爽やかさを演出します
競秀峰全景
いつ見ても感動させる岩山の偉容です。
右下の桜が色を添えています。
競秀峰の偉容と桜
横に走る白い部分がかって人が鎖を持ちながら通りしばしば落下事故があった道です。
人が通った道の拡大
残念ながら鎖がうまく写っていませんね。
何度も来ていますが、来る度に深い歴史が少しずつわかってきます。
競秀峰と青の洞門、山国川が一体となって深い歴史を創ってきていることがわかりました。
この時期の桜もネモフィラも圧倒的な競秀峰の偉容と雄大な山国川、歴史を忍ばせてくれる青の洞門に添えられた花のように感じました。
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その上の山原にへばりつく道路もよく作ったものだと
感心します。
人の往来で自然にできたわけではないですよね。
遠くから来て奇岩を見て楽しんでいますが、住む人は大変です。
この往来は、5度目くらいに気が付きました、ここを人が往来していたことに信じられなかったですね。
先人にはそういう立派な方がいたのですね
この景観が壊されるのではないかと心配し関係者に図って買取保存されたと聞いています。
次の世代を考えられたのですね。
か青の洞門を作るのも原因があったようですね。
崖部に赤いサビでしょうか、オレンジ色が鮮やかですね。
鉄分が多いという事でしょうか(^^ゞ
耶馬渓の景色は美しいですがこの道を通り抜けて
行くには昔の人は難儀をしたと思います。
何度も青の洞門に行って、その度にブログUPするために
改めて情報を見直していたからわかりました。
荒瀬井堰が地図から見つけられず思いの外まとめるのに時間がかかりました。
歴史の中に昔の地名が出てきますが、これがなかなか探しにくいものです。
そして、それを色々探すことが楽しみでも有り、どんどんブログの完成が遅れます(笑)。
青の洞門の岸壁だけなく、競秀峰の至るところに赤くなっていますね、あまりこのような岩肌は見たことがりません、まさか鉄鉱石が出たりしないですよね(笑)。
今は生活もしやすくなって恵まれています、感謝ですね。
青の洞門は習った記憶がありません、サボったか、
育ちが山口県なので習わなかったかもしれません。