先週水曜までの沖縄支援ツアーは基地以外にも足を運んでいます。
沖縄戦の縮図と言われた伊江島にも米軍基地は存在しています。基地内には、強襲揚陸艦に見立てた滑走路があります。海上と同様の訓練が行なわれています。
戦前には伊江島の飛行場建設に延べ20万との言われる雇用人夫、徴用された延べ人数36万人にもあたる成人男女や生徒によって急ピッチに進められました。1,500mの滑走路3本という東洋一の飛行場とまで言われたそうです。アメリカに4月16日から20日までにあらゆる建物が焼き尽くされ、21日に米軍は伊江島線量を宣言し、日本の戦死者数は約4,800人にもなったとのこと。
また、伊江島には、日本の敗戦を知らずに、ガジュマルの木の上で2年間過ごした2人の日本兵がいました。暗くなると下り、米軍が捨てた缶詰などの食料を集めて飢えをしのぎ、ガジュマルの木の上に潜伏していました。当時はもっと生い茂っていたようです。住宅地の一角で駐車場が整備されています。
ヌチドゥタカラ(命こそ宝)の家の資料館には、訓練用の模擬爆弾も含めて、銃の薬きょうやパラシュートが展示され、本土復帰を前後しての日本本土からの連帯のための横断幕などがありました。中には千葉大学の学生でつくる平和団体のものもありました。かけあしだったので時間があればじっくり見たいです。
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