前々回の記事(https://blog.goo.ne.jp/yukiyuki8282/e/342caf41be9528f8aabc813251b9fac0)で触れた、ナショナルアイデンティティについて補足。
私は近代における国家による同化政策を批判し、右翼・保守派こそ「日本人」という概念について抵抗すべきという話をしました。
まあ別に、必ずしも近代日本を否定的に捉えよ、ということではないですね。また、前近代を過剰に賞賛して良いのか?という問題もあります。
近代日本は、千と千尋の神隠しのカオナシみたいなものだったと思いますね。どんどんお金を取り込み巨大化し暴走していく、儲け主義・帝国主義の権化でした。これは現代も変わらないかもしれませんが。
また否定的なことを述べましたが、それじゃあ肯定的な部分はなかったのかと聞かれれば、ないこともなかっただろうと。
例えば、自由民権運動とか。
植木枝盛の『東洋大日本国国憲按』なんかは敗戦後の日本国憲法にも通じる部分のある、近代的な憲法だったという意見もあります。
非常に評価が分かれると思いますが、北一輝の著作は地方の貧困層にとっては魅力的な部分もあったでしょう。
国家としての近代日本は褒められたものでなくとも、民衆の間で誕生した運動や文化には良かった面もあるのかなと思いますね。そういった部分に焦点を当てて、日本をポジティブに評価することは可能かもしれません。
さて、現代の日本では、経済的な衰退が始まってから20年以上が経過しました。
この20数年で随分と社会が右傾化し、あらゆるところにナショナリズムが蔓延するようになりました。また、右翼や保守を自称する輩が愛国心を強調するようになりました。
昔は、右翼・保守派も反体制的だったんですがねえ。上述の北一輝や戦後なら三島由紀夫など、彼らなりに近代日本の矛盾を指摘し国家に刃向かったんですが。
ある政治家が「革新になるには1ヶ月かかるが、保守は1日でなれる」と言ってましたがね。革新に1ヶ月でなれるかは置いといて、そこらへんに転がってる偽物の右翼なら1日でなれますね。