花柄が好きだった。シャボン玉の水たま模様が好きだった。
人は、そんな場所に帰っていくのかと思われた。森の息吹は、ジャングルを予感させるアナーキーな道が拓けていた。
シモーヌ・ヴェイユが
「集団的な思考は、思考としては存在することができず、「もの」(記号、機械など)の中へ移って行ってしまう。そこから、次のような逆説が生じる。ものが思考して、人間は「もの」の状態まで押しやられてしまうという逆説が」
と言っていた。
人間は、何の為に働くのだろうか。
私は、マクロ経済に疎い。だから、こういう。
「わたしたちに義務が与えられているのは、我欲を殺すためである。というのに、わたしはこんなに貴重な道具をさびつくままに放置してきた。外の世界が確かに存在すると信じる為に、命じられたときに、自分の義務を果たさねばならない。そして、時間が確かに存在すると信じなければならない。」
こんな事を書いていると、何だか義務というものが、羽みたいに軽くなって「確かに存在していること」は、一途なことだからきっと良いことだろうとさえ思ったのだ。人々に小さな歌を書きたいと思える程に、義務というのは外の世界が存在している事を確かめる。その中で上下の関係があったりするのであれば、自分が本当に知らないことを探すことは愛くるしいほど、前向きな事だ。
騎士団がやってきた。彼らの心は、律儀な忠誠があるんだ。そういう不思議な風を裂いて、華やかな君と僕は何かを守らなければならない。しかし、こういう事は一種の自己欺瞞だろうかと胸が張り裂けそうに心が動いた。秒針が、短針を超えていくようにいよいよ不安的になった。花というのは、誇張ではない。生命がうまれる時に、一緒に咲いているものを「仲間」だと、共鳴する為にあるのだ。君は気がついてないうちに、マタイにも何もかもに触れているんだ。あの頃、君はどうしていましたか。そういう風に、騎士団が女性に優しく語りかけた。僕は、突然に走り出した。「もの」というのが、時空になるという物語は語らぬ。騎士団の一人が、あなたの持っているペンダントはわたしも持っていますと。ここでいう「もの」とは、ペンダントではないことがわかって、騎士団長に部下が、休みを少し下さいと言った。団長は、花が将来を決めてくれるのならば、決まっているじゃないかと、頷いた。
運命は、橋にもかかっていた。それは歩道橋に見え隠れする月、そう言った瞬間に、義務というは転嫁され、どこにでも僕はいます。そう律儀にいったようだった。
フーリエ変換、シャドウボクシング、キレのあるタイピング、今宵、桜の散った後、小雨、夜の酒、風を切って走る馬車、雨、雨、刹那、ラグランジュ、雪の思い出、入り江、港町、微かな啓発、叩き散る夜露の剣、さみだれ、酒の果実。