MYタクシーの車内に浅原硝子の浮き玉を飾りました✨
小樽は、そもそも漁業に使うガラスの浮き玉や石油ランプなどの製造が主でしたが、時代と共に需要が無くなりガラス工芸品に移行して行きました。
小樽を硝子の街として有名にしたのは 北一硝子と言っても過言ではありません、現社長の浅原健蔵さんは、浅原硝子製造所の創始者(浮き玉硝子の考案者でもある)浅原久吉さんの孫になります。他にも浅原千代治さんは大阪で硝子の工芸職人でしたが、健蔵さんが硝子の仕入れに大阪に訪れたのが、きっかけとなり、小樽にザ.グラススタジオを設立しました。浅原千代治さんと浅原一族とは血縁関係は有りませんが、面白い事に、浅原久吉さんは福岡生まれで、実家は江戸時代から続く硝子工場だったそうです(今は廃業)後に大阪の硝子工場に修行に行き先輩職人の独立開業に同行し函館へ、更に久吉さんは独立し小樽で浅原硝子を開業したそうです。何気に大阪との縁を感じてしまいます。今では小樽の硝子ショップは数多く有りますが、3人の浅原さんなくして小樽の硝子は語れないかも知れませんね(o^^o)「追記」 現在 国内で、ガラスの浮き玉を造ってるのは浅原硝子さんだけだそうです。