ふくちゃんロスにどっぷりはまっております。
家では殆ど泣いております。
泣き疲れました。
友達と会っていても、一人になるとまた心が沈んでしまいます。
福に会いたい。夢でもいいから会いたい。
まだ、私の左肩は福の重みを覚えてます。
指にとまった重みも覚えてます。
福の存在は覚えていても、福の重みの感覚がいつかは忘れてしまうのかも。
時が止まればいいのに。
福が生きていた、先週に戻れたらいいのに。
寂しい。
新しい子をお迎えしたら?
いいえ、今は福しか考えられない。
もし、新しい子をお迎えしても、また短命だったら・・・。
怖い。
もう少し、時間をあけてみよう。
福。
いたずら好きなセキセイインコでした。
冷蔵庫に貼っているマグネットの上にとまり、紙をちぎります。
夕方、ソファーに座り、晩ご飯何しようかと料理本を見ていたら、私のお腹下辺りでゴソゴソ。
本をかじってます。
タンスはびっくりしました。
以前、ブログにアップした箱。ボロボロです。
畳もホジホジしてやられました。
いたずらばかりするので、ダメ!ふくダメ!と言うと、
ビッ!ビッ!と反抗してきます。
朝から、鳥と人間の言い合いがあった時もありました。
旦那曰く、なんか会話になってるな~。
福は雰囲気が分かる子でした。
ごはん(エサ)容器に鳥専用の栄養剤を袋から出していると、
私の指にとまって、中に入っている乾燥剤を引っ張り出て下に落としたり。
ベターっとブローチの様に胸辺りに張り付いて離れず、トイレに入る寸前までくっついて来たり。
隙間があれば、かくれんぼしたり。
そのくせ、お留守番をさせると、鳥かごと決まった場所にしか動きません。
ペットボトルのキャップをテーブルから下に落としたり、落ちたキャップを足でコンコンしたり、
くわえて放り投げたりするので、お留守番させる時は一応キャップを何個か置いて出掛けてました。
帰宅すると、キャップがテーブルから何個か落ちているときもあれば、全然落ちてないときもありました。
要はお留守番の時は動き回っていないのがよくわかりました。
途中から、ホームネットワーク(監視カメラ)をつけたので、お留守番の福の動きが詳細に分かるようになりましたが。
この2、3日、外に出掛けていて、福がいるから早く帰らないと、思うのがないので寂しいです。
帰宅しても、福がいないので寂しい。
朝、お水、ごはんの替えをしなくてもいい、鳥かごの掃除をしなくてもいい。
ウンチの跡を拭くことがない。
すべてが寂しいです。
時々、福がいるつもりでエア福で遊びます(危ない人です)
涙がとまりません。
ふと、石田ゆり子さんを思い出しました。
彼女も動物大好きな人で、過去にはわんちゃん、猫ちゃんを亡くしている。
早速、石田ゆり子さんのエッセイで「はなちゃんの夏休み」を読みました。
あとがきで書かれているのを読んで少し落ち着きました。
毎日、同じことの繰り返し。でも、繰り返される日々の中にこそ幸せはちりばめられていて、
そのかけらを探すのが私はなにより好きです。
だけど、じつのところ、その瞬間は、人間にはなかなか捕まえられない。
それを捕まえられるのは、一瞬一瞬を生きている動物なのではないかと、思うのです。
以前、私が帰りが遅くなったとき、福は自分自身で鳥かごに戻っています。
おやすみのカバーをかけるのが遅くなり、福に申し訳なくなります。
一泊で旅行に出掛ける時は、家を出るまで十分に遊んでから出掛けたり
しますが、帰りが遅くなってしまったりすると、ごめんね~と思います。
それでも、次の朝にはケロッとして、寄ってきてくれました。
福は、動物は、引きずらない、毎日が新しい日なんだ。
人も毎日が新しい日なんだよと、福が教えてくれたような気がします。
また、小さな子供と暮らしたようでもありました。
そして、親の気持ちにもさせてくれました。
ふく・・・ふくちゃん。
ありがとう。
泣き虫な、かあちゃんより