歯科医物語

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映画「ニューシネマパラダイス」を観た

2021-11-25 14:29:19 | ☆映画 動画
映画ニューシネマパラダイス
 
 
 


 
イタリアの名匠ジュゼッペ・トルナトーレによる、映画史に残る至高の名作。イタリアのシチリアを舞台に、少年と映写技師が映画を通して心を通わせていく様を、感動的な音楽と繊細な人物描写で描き出す。映画に魅了された少年トト役を、サルヴァトーレ・カシオが愛くるしい演技で演じきった。年齢を超えた友情や少年時代の夢など、世代や時代を超えた人々に愛される物語に、“映画の魔法”という名の感動が存分につまっている。



映画監督のサルヴァトーレ(ジャック・ペラン)は、映写技師のアルフレード(フィリップ・ノワレ)という老人が死んだという知らせを受け、故郷のシチリアに帰郷する。

完全版は4時間以上ある 劇場で見た

大好きな映画  😏 😏 😏  トト!!!
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映画 「トップ ガン」を観た

2021-11-20 18:35:57 | ☆映画 動画



 
 
トップガンでのマーヴェリックの弱気ぶりが聞こえていた空母飛行隊長は、作戦ブリーフィングで彼をバックアップにまわし、先鋒に発つアイスマンの不信感を無理に押さえつける。2機対2機の互角と見積もっていたが実際は6機であり、数で圧倒的に勝る敵機によってアイスマンらは苦戦を強いられ、とうとうハリウッド/ウルフマン機が撃墜されるに及んで、マーヴェリックは自らに自信が持てないままで出撃を余儀なくされる。
超音速飛行でやってきた戦闘域で、アイスマン/スライダー機1機に対する敵機5機のローリング・シザー機動による猛烈な攻撃を目の当たりにしてマーヴェリックは愕然としていたが、後方からの1機に気を取られて、知らない間に自分らの前方から向かってきた1機がすれ違いざまに起こした乱気流によって一時的な機の制御不能状態に陥る。マーヴェリックはからくも制御不能状態から回復はしたもののグースを失った恐怖の記憶が甦り、怖気付いてしまって戦闘域から逃げ出した。
空母戦闘指揮所内で、無線会話をモニタリング中だった飛行隊長の罵怒声は届かないまでも、レーダー要員であるマーリンの叱咤やグースのドッグタグを握りしめ、まるで後部席に彼がいるかのようにいつもの台詞の「教えてくれ。教えてくれ、グース…」と、祈るかのように呟きながらマーヴェリックは戦闘復帰を果たし、苦戦するアイスマン/スライダー機と協調して敵機を4機撃墜、2機を撤退させることに成功。撃墜されたハリウッドらも無事に生還して、アイスマンらとフライトデッキ上でわだかまりを解消させた。
この一戦によって、マーヴェリックは一匹狼からチームワークを知る優秀なパイロットへ成長したばかりでなく、グースを失った自責の念は克服され、僚友の死の悲しみを振り払うかのようにドッグタグを大海原に放り投げ、彼なりの弔いを行なった。世界中に報道された戦果でもあったことにより、これに気を良くした軍上層部の計らいによって、マーヴェリックは教官としてトップガンへ戻り、さらにその知らせを聞いて、ワシントンD.C.から戻っていたチャーリーと、2人の出会いのきっかけとなった思い出の曲に包まれながら劇的な再会を果たす。

新作


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「アナと雪の女王 2」 を観た

2021-11-19 22:11:43 | ☆映画 動画
 『アナと雪の女王2』(アナとゆきのじょおう2、原題:Frozen II[注 1])は、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ製作の2019年のアメリカ合衆国のコンピュータアニメーションミュージカルファンタジー映画。監督はクリス・バックとジェニファー・リー、脚本はリー、製作はピーター・デル・ヴェッチョが務めた。2013年公開の『アナと雪の女王』の続編。


 
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映画「壬生義士伝」を観た

2021-10-04 13:55:16 | ☆映画 動画



 

 
 明治三十二年、東京市。冬のある夜、満州への引っ越しを間近に控えた大野医院に病気の孫を連れてやってきた老人・斎藤一は、そこにかつて新選組で一緒に戦った隊士・吉村貫一郎の写真を見つける…。盛岡の南部藩出身の貫一郎は、純朴な外見に似合わない剣術の達人であった。が、その一方で名誉を重んじ死を恐れない武士の世界に身を置きながら、生き残ることを熱望し、金銭を得るために戦った男でもあった。全ては、故郷で貧困に喘ぐ家族のため。脱藩までして新選組に入隊した彼には、金を稼ぎ、愛する家族のために生き残る必要があったのだ。斎藤はそんな貫一郎を嫌ったが、反面、一目置くところもあった。時が過ぎ、大政奉還。一転して賊軍となった新選組は、官軍の制圧に遭い壊滅状態に陥る。ところが、貫一郎だけは脱藩で裏切った義を二度と裏切れないと、たったひとりで最後まで戦い抜いた。そして、傷ついた彼は大阪蔵屋敷の差配役として赴任していた幼なじみの大野次郎右衛門の情けで、官軍に引き渡されることなく、故郷を想いながら切腹したのだった。思いかけず、次郎右衛門の息子・大野千秋から、気になっていた貫一郎の最期を聞くことが出来た斎藤。彼は、貫一郎の娘で今は千秋の妻となった小児科医・みつの診断を終えた孫を連れ、夜の道を帰っていった。 
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 『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』

2021-10-01 10:31:34 | ☆映画 動画
スピルバーグの演出から思想まで 『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』の見どころを解説
10/1(金) 10:03配信
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『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』TM&(c)1989, (2021)Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved. Used Under Authorization.
 スティーヴン・スピルバーグ監督、ハリソン・フォードそれぞれの代表作ともいえるアドベンチャー大作シリーズ、『インディ・ジョーンズ』。その第3作『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989年)が、久々に地上波放送される。タイトルのとおり、2008年に第4作が公開されるまでは『インディ・ジョーンズ』シリーズの区切りとされた一作で、シリーズ中でも高い評価を誇っている。 【写真】若きインディを演じたリヴァー・フェニックス  冒頭で描かれるのは、インディアナ・ジョーンズの少年時代。演じるのは、『ジョーカー』(2019年)に主演したホアキン・フェニックスの兄であり、『スタンド・バイ・ミー』などの名作に数多く出演し、若くして命を落としたリヴァー・フェニックスだ。若きインディは、ボーイスカウトとして盗掘者たちから遺物を守ろうと、必死のアクションを繰り広げる。  この短いエピソードのなかで、インディのトレードマークである帽子の由来や、鞭を武器にする経緯、そして蛇が大の苦手となってしまう理由などが、次々に明かされていく。その流れるようなアクションの持続は、スティーヴン・スピルバーグ演出の真骨頂だ。そして、インディをインディ足らしめる要素を振り返ることで、本作でインディアナ・ジョーンズの物語に一区切りをつけるという意図も伝わってくるのだ。  ここでさらに明らかになるのは、インディにとって父親ヘンリーが大きな存在であることだ。博識な考古学者の生き方に憧れて、インディは同じ道を歩むことになる。だが、微妙に異なるのは、邪悪な敵は容赦なく打ち倒すという姿勢である。彼はそのことを、アウトローとの勝負における敗北によって学ぶこととなったのだ。そして、その次のシークエンスによって、清濁を併せ飲んだ存在に成長したインディは、ついに少年時代からの宿敵との争いに決着をつける。  さらに考えさせられるのは、インディの存在が正義か否か、という問題である。私利私欲によって過去の遺物を手に入れようとする悪者たちの陰謀を阻止するのは素晴らしいことだが、研究目的だったり博物館に寄贈するためとはいえ、彼が世界の遺跡で遺物を手に入れてアメリカに持ち帰っているのは事実である。実際、国家間同士の力関係から、これまで先進国が後進国の歴史的に重要な遺物を奪ってきたことは、「文化財返還問題」として、国際的な問題となっている。  その意味でインディは、ヒーローであり、一種の罪人であるともいえる。それでもインディが劇中で活躍できたのは、作品の時代設定を第二次世界大戦前に設定しているからだろう。本作でインディのルーツをはっきりとアウトローに見出しているのは、ヒーローの持つダークな側面をこれまで以上に明確化し、公開当時の文化財輸出規制が年々厳しくなる時代背景のなか、制作陣がバランスを取ったとも考えられる。  さて、今回インディが狙うのは、最後の晩餐でキリストが飲んだ杯(さかずき)とも、キリストの血を受けた杯ともされる、聖遺物の一つ「聖杯(せいはい)」である。円卓の騎士がその行方を探したとされる伝承によると、その杯には奇跡の力が宿っているという。  ヴェネチア、ザルツブルグ、ベルリン、そしてトルコのアレクサンドレッタ……。これまでのシリーズ同様、本作においても、まるで007のように世界を駆け巡っているインディ。その旅に同行することになる父親ヘンリー役に選ばれたのは、『007』シリーズで初代ジェームズ・ボンドを演じ、惜しくも2020年にこの世を去ったショーン・コネリーである。この趣向は、まさに『インディ・ジョーンズ』シリーズが『007』から多大な影響を受けているという自己言及であろう。  ジェームズ・ボンドが希代のプレイボーイであるように、インディ親子も女性好きである。本作でも、インディはヴェネチアで案内役として現れた考古学者のエルザにちょっかいを出し始めるが、このエルザは『007 美しき獲物たち』(1985年)で「ボンドガール」として出演していたアリソン・ドゥーディなのである。そのときにジェームズ・ボンドを演じていたのはあくまでロジャー・ムーアではあるものの、本作の劇中でヘンリーが彼女と恋愛関係にあったことをインディーが知り、「えっ、パパも!?」「一夜だけの関係だよ」とやりとりするシーンの裏には、そんな背景があったのだ。  このように、本作は『007』とのつながりを暗黙の了解としている観客へのサービスやユーモアが散りばめられている。観客の期待は、かつて「殺しのライセンス」を持っていた男を演じたショーン・コネリーの活躍だ。しかし、いかにも『007』シリーズのような敵の秘密基地で、ヘンリーがただただ右往左往し、ドジの連続を見せるところは、ほとんどコントであり、笑わされずにおれない。このあたりは、スピルバーグのイタズラ心が垣間見える点である。
 

インディ親子がたどり着いた境地によって示される「真理」
 本作でインディたちを追うことで、聖杯のありかを突き止め、その奇跡の力を悪用しようとするのが、インディの宿敵でもあるナチス・ドイツだ。この物語設定は、アドルフ・ヒトラーが聖杯を狙っていたという風説が基になったものだろう。  印象深いのは、ナチスが書物を大量に火にくべる「焚書」のシーンだ。その行いを目の当たりにしたヘンリーは、ナチスの将校に対して「本を読むのではなく、燃やすような奴らがいるから、この世の中は良くならん」と、怒りを表す。ナチスドイツの焚書は、政権に不利になり得る書物を燃やすことで、自らの正当性を強固なものにしようとするものだった。それは、知識をないがしろにし、歴史を自分たちの好きなように書き換えようとする行為である。  これはナチスのみではなく、宗教への盲信から重要な歴史的遺物を破壊する行動や、日本を含め世界でいまも蠢動する「歴史修正主義者」の振る舞い全体への批判でもある。その後『シンドラーのリスト』(1993年)で、ナチスドイツによるユダヤ人への残虐な蛮行を、あえて目を覆いたくなるようなリアリティで再現したスピルバーグは、都合の悪いものを隠蔽しようとする卑劣な態度に、ここでも怒りをにじませているのだ。  もし、事実を記した古い書物が失われてしまえば、世界の人々は、何度でも同じ間違いを繰り返し、不幸は何世代にもわたり続いてしまうことになる。ヘンリーの怒りは、考古学によって先人の生き方や、そこに込めた想いを研究し、そこから真理を学ぶ生き方をしてきたからこそのものである。  冒頭でインディは、教育者として学生たちに「真理」ではなく「事実」の大切さを講義し、ものごとを現代の目で俯瞰することを教えている。もちろん、研究においてそういった考え方は重要かもしれない。だが、劇中でインディが神を冒涜する言動をしたときに、放任主義をとってきたヘンリーが息子を珍しく叱りつけているシーンがあり、さらにクライマックスでそんな姿勢が再び否定されるように、歴史をただ現代の視点から眺めるだけではなく、当時の人々の価値観を謙虚な気持ちで学ぶ姿勢も大事なのだと、本作はヘンリーの考えと、インディの成長を通して表現している。  フランスの詩人、ポール・ヴァレリーに、「湖でボートを漕ぐように、人は後ろ向きで未来へと向かう」という詩作がある。古い時代の叡智は、謙虚な態度で教えを乞い、いまの生き方に活かしていくことで、真の価値を放つ。それが、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』で、インディ親子がたどり着いた境地によって示される「真理」なのである。そして、遺物そのものよりも、そんな無形の真理に近づくことで、心をときめかせる過程にこそ、ヘンリーが劇中で語る「輝き」が存在しているのだ。  『インディ・ジョーンズ』シリーズは、監督を『フォードvsフェラーリ』の名匠ジェームズ・マンゴールドにバトンタッチした、待望の5作目が、2022年の公開を目指し現在製作中である。製作陣には、スピルバーグやフランク・マーシャル、ジョン・ウィリアムズなど、1作目からのスタッフも参加している。本作の精神を下敷きに、“現在の『インディ・ジョーンズ』”はどんな内容になるのだろうか。非常に楽しみである。

 
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