日航機墜落37年、当時知る社員2% 教訓どう引き継ぐ
墜落事故の追悼施設「慰霊の園」を訪れた日本航空の新入社員=4日、群馬県上野村(同社提供)
背もたれが裂け湾曲した座席、墜落時刻の午後6時56分を指したまま止まった腕時計-。東京・羽田空港近くにある日本航空の「安全啓発センター」には日航ジャンボ機墜落事故の機体の残骸や乗客の遺品が展示され、ここで日航の全社員が「命をあずかる重み」と事故の教訓を改めて心に刻む。乗客乗員520人が犠牲となった事故から12日で37年。当時を知る社員がほとんどいなくなった今、いかに記憶の断絶を防ぐかが課題となっている。 【写真】展示されている日航ジャンボ機墜落事故の機体の垂直尾翼 日航は当初、事故の残骸を廃棄する方針を示していた。
だが、「事故のご遺族や(第三者機関の)安全アドバイザリーグループから残存機体の展示を提案され、会社の方針が転換した」と日航安全推進部運営グループ長の酒井宏彰さん(43)が振り返る。 平成14年に旧日本エアシステムと統合後、日航では主脚部品の誤使用や管制の指示違反といった安全上のトラブルが続出。17年3月には国土交通省から事業改善命令を受ける事態にまで発展した。事故から約20年が経過し、安全運航への意識が落ちていることは誰の目にも明らかだった。 空の安全を守る使命感を示す必要に迫られ、日航が安全啓発センターを開設したのは18年4月。遺族も協力し、社員向けの講演も行われることになった。
傷だらけの垂直尾翼、破壊された圧力隔壁、そして乗客らの遺品…。全ての展示物が事故の大きさと悲惨さを物語っている。 「パパは本当に残念だ」「本当に今迄は幸せな人生だったと感謝している」。乗客の男性=当時(52)=は手帳に家族への惜別のメッセージを記し、客室乗務員の女性=当時(29)=は「姿勢を低くしてタオルで口と鼻を覆って下さい」と不時着した際にアナウンスする内容をノートにまとめていた。
「命をあずかる重み。それを心で感じてほしいと思っている」と酒井さん。今月3日、センターを訪れた新入社員は、遺族らの手記をまとめた文集『茜雲(あかねぐも)』を読みながら涙を流した。 日航によると、全社員約1万4千人のうち事故当時在籍していた社員は284人(今年3月末時点)。約98%の社員が、事故を話でしか聞いたことがないことになる。遺族も高齢化が進み、墜落現場となった「御巣鷹の尾根」
(群馬県上野村)への慰霊登山ができなくなった人も少なくない。 事故の教訓をいかに次世代に引き継いでいくかは喫緊の課題だ。日航では、事故直後、着の身着のまま現場に駆け付けたり遺体安置所で遺族に対応したりした社員や関係者らOBの声を映像記録に残し、安全意識の啓発に活用している。 酒井さんは力を込めて語る。
「安全はどこか一つ欠けてもいけない。事故を教訓に、社員全員で安全を守っていくという意識を持たなければいけない」(大竹直樹) ■日航ジャンボ機墜落事故 昭和60年8月12日午後6時56分、乗客乗員524人を乗せた日航123便ジャンボ機が群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に墜落し、520人が死亡、4人が救助された。62年、当時の運輸省航空事故調査委員会は、機体後部の圧力隔壁の修理ミスなどが原因とした報告書を発表した。
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