阪神・淡路大地震から14年。今日一日、被災地は祈りに包まれました。
命の重さ。忘れないで
地震発生は、1995年1月17日火曜日午前5時46分。
前日の16日は成人の日の振り替え休日。
大阪に遊びにきていた英陸は、夜7時過ぎの新幹線に乗って、新大阪駅を出ました。
翌朝、TVに映っていたのは、
火の海となった神戸の街と、崩れた高架道路。
そして新幹線の線路も…
ほんの十数時間前に通ってきた線路が傾いている!!
ぞっとしました。
もし新幹線に乗っているときに、地震が起こっていたら…
地震発生のスパンから考えれば、10時間なんて一瞬のこと。
その意味では、英陸も阪神大震災で九死に一生を得た一人です。
犠牲となった6434名の命に、哀悼の意を捧げると同時に、
復興に努力されてきた方々に敬意を表します
1995年は「ボランティア元年」ともいわれました。
人々の支え合いを力強く感じた年だったはず。
今、その精神をもう一度思い出したいですよね。
命の重さ。忘れないで
地震発生は、1995年1月17日火曜日午前5時46分。
前日の16日は成人の日の振り替え休日。
大阪に遊びにきていた英陸は、夜7時過ぎの新幹線に乗って、新大阪駅を出ました。
翌朝、TVに映っていたのは、
火の海となった神戸の街と、崩れた高架道路。
そして新幹線の線路も…
ほんの十数時間前に通ってきた線路が傾いている!!
ぞっとしました。
もし新幹線に乗っているときに、地震が起こっていたら…
地震発生のスパンから考えれば、10時間なんて一瞬のこと。
その意味では、英陸も阪神大震災で九死に一生を得た一人です。
犠牲となった6434名の命に、哀悼の意を捧げると同時に、
復興に努力されてきた方々に敬意を表します
1995年は「ボランティア元年」ともいわれました。
人々の支え合いを力強く感じた年だったはず。
今、その精神をもう一度思い出したいですよね。
「あと少し・・・・」とテレビをベッドから見ていました。
一瞬のようなしばらく続いたような本当に凄い衝撃でした。
家具が全部倒れ、寝てるベッドの上だけが
少しの本とCDが散らばってるだけで無事でした。
2月に大阪支社の仮事務所で仕事を始めるまで自宅待機。
神戸の事務所に荷物を取りに行くのに長いバスの列に並び。
PC取りに高砂へ行くのも遠回りして・・・・
それでも自宅で電気はすぐ復活。水道も翌日には使えたので。まだ楽なものでした。
買えなかったマンションが潰れていたり本当に考えたら幸運でした。
その裏で大変な思いをした多くの方々があった事を忘れてはいけませんね。
さんまさんのセリフじゃないけど、
今、自分がここに在ることは、すごい奇蹟なのかもしれません
そんでもって、仔仔がいてくれることの奇蹟にも感謝!
人生、紙一重で生かされてる、ということ実感します。
現在の職場は防衛省のそばなので、会社勤務中大地震に遭遇しても、
あそこまで行けば食料と水はもらえるかな?などと思ってます。
それこそ、緊急事態発生!ってことで、
門を完全に閉ざし、一般人立ち入り禁止にするんじゃないっすかねえ。
近所の公園にでも避難したほうがいいよ、きっと