さぁ 手を伸ばそう
あちゅとの本心って?
いつのまについた傷だろう
涙さえ覚えてないくらい
でもきっとそれは 次へ行ける
自分になれた証
もっとメロディアスな曲がつけられているのだと思ってた…
あちゅとくんが原案を示して、May J.さんに託した「光のありか」。
「応援歌ではなく、心の想いをことばにした」という歌詞…
作詞者に3人の名前…松井五郎/内田篤人/May J.…
松井さんって、「安全地帯」の曲なんかを手がけていた人なんだね。
ベテランの方だし、実力は「間違いない」ってカンジ。
でも、あちゅとくんの想いがいっぱいつまったことばの断面を集めて、一つにまとめるのは大変だっただろうと思われる…
作詞家独自の創造性は控えて、とにかく、あちゅとくんの想いに忠実に、歌詞を起こそうとしたのではないか?
歌詞読んでると、じわっと泣けてくる…
逃げたくても逃げる場所なんかない
胸の音をただ握りしめた
ひとつひとつ積み上げれば
いつかかけらも形になる
May J.さんは、きっと実際に歌ってみて、歌いやすいように工夫する役目だったのじゃないかな。
Uta-Net「光のありか」
作曲は佐伯youthK…西野カナさんなんかに曲を提供している方らしい…
実に今時なリズムとメロディ…
ストレートで、あまり深みのないメロディ・ライン…
次々に盛り上がっていくようで、盛り上がりきらず、どっか中途半端な印象。
しかも、心地よい転調ではなく、不協和音を生み出して、曲としての統一性を危うくさせている…
う~ん…この歌詞なら、いっそのこと作曲も玉置浩二さんにお願いすればよかったんじゃないか…
そうしたら、せつなく、甘く、歌いやすく…いろいろな世代にアピールする名曲になったのに…
と、今時の若者JPOPについていけない英陸は思ってしまった…
むずかしくて歌えない…無理して歌ってみると、ZARDっぽくなるんですけど…
ああ、これが「年齢の壁」なのね…いや、それ、「世代間ギャップ」だから…
あちゅとが心の奥底にしまっていた想いを、ことばにしたのだもの。
バラード…とまでは言わなくても、もうちょい、感動的な曲調でもよかったのに。
結局、自分を鼓舞する「応援歌」になってしまってるような…
歌詞はけっして意外なものではない。
うっちーは普段本心は、はっきり言わないけど、嘘はつけない人。
今までも、少しずつ漏らしてきた想いが表現されている。
ずっと遠回りする方へ
きっと迷ってばかりの道だけど
誰のものでもない苦しみは wow
また夜明けの光を 教えてくれるはず
自分に厳しくて、一生懸命で、負けず嫌いで…
いっぱい流した涙のことは、ちょっと隠して…
まじめで、仲間思いで…
<ここでほんのちょっと妄想タイム!>
ひとりだけじゃうまく越えられない
高い壁いくつだってある
でもどんなときも 繋がりあう
同じ気持ちがそばにある
これって…長谷部さんのことだよね?
そうよ、そうだわ、そうに決まってる!
もちろん、他にもたくさんの仲間はいるけど、その皆の思いのことだと考えてもいいんだけど…
「そばにある」 という身近さがさ、長谷部さんよ、絶対!
歌詞の原案を送ったのが、今年の4月ごろなのでしょ?
あちゅとくんが大ケガして、日本での治療やリハビリを経て、ドイツに戻った頃…
ワールド・カップへの強い、強い思いは、身近で一緒にリハビリをしていた長谷部さんが誰よりも感じている…
まだまだ、どれだけ回復するかわからない状態…
メンバーに選ばれる保証はどこにもなかった…
同じ思いで、いっぱい、いっぱい、うっちーと長谷部さんは語り合ったはず…
前を向く姿はいつだって wow
風をくれる女神が 見ていてくれるから
この「女神」
たぶん特定の誰かのことではなく、うちらのようなファンやサポーターへの感謝のことばなんだろうな、と英陸は思う。
ありがたいわ…
まったく、どこまでも気配り上手な内田さんよね
ツンデレで、シャイで、若さゆえの自意識過剰やナルシシズムもあって…
その美貌も相まって、誤解されることも多くて、勝手なこと言われて批判されて…
本人はいたってピュアな、バカ正直なほど真面目な青年なのに…
「僕は自分が見たことしか信じない」固い決意で生きてきて…
冷たい声にも 唇を噛んで
立ち止まらずに
本当に、すべてを賭けてたんだろうな、ワールド・カップに…
結局は報われずに終わった夢…
でも…たとえ報われなくたって、そこで夢は終わりにはならない…
つらいことなんて
怖がって やめたって いいんだって
そう 誰かが言うけれど
後悔はしたくないよ
自分に代わるものがいないなら
実は、内田さんは、この曲にさえも、「本当の夢」のことは明かしていない…
いや、明かしようがない…
だって、それは本人にも見えないものだもの…
答えのない日々を
くりかえす それでもいい
何度でもできる さぁ
動きだそう
内田さんの夢は、不思議なんですよね。
普通の人の夢は「サッカー選手になりたい」とか「人の役に立つ仕事をしたい」というように、
「○○になりたい」とか「○○したい」というのだけど、あちゅとの夢は、
「目標をもってサッカーを続けること」。
「嵐にしやがれ!」でも、そう言っていたよね…
その真意を掘り下げられることなく、番組では原宿でのプチ冒険の場面になってしまった…
もちろん、内田さんにも「○○になりたい」があった。
ただ、小さい頃の夢「Jリーガーになりたい」は、早々と実現されてしまって、
それからは、自分が夢見た以上のことが雨あられと降ってきた。
とんでもないラッキーボーイなんでしょうが、本人が「現実主義的理想主義者」だから、
目標とすべき夢を見失ってしまった状態になった…
「有名になったら、金持ちになって、楽な暮らしができる」
なんていう俗っぽい夢を持っていたなら、もっと気が楽だったかもしれない。
それからは、「夢をみつけることが夢」…
成功者の陥る深い溝…「生きる意味」そのものを脅かす茫漠たる闇に包まれた…
あたかも、夢を見ることができないニートと同じ状態になってしまったのだ??!!
(ああ、だから内田さんは「カリスマ・ニート」なんだ…)
「あちゅと…」
そんなとき、あちゅとに夢を教えてくれた人たち…
海外に移籍することを薦め、新たに挑戦し続けることを、身を以て示してくれた人たちがいた…
そこからは、終わりのない旅がはじまる…
どこまでもつづく…届きそうで届かないもの…
苦しいよ…繰り返しなの…一つの目標が終わり、また新たな夢を見て、また身を削り前に進んでいく…
永遠に終わらない繰り返し…「永遠回帰」にも似た一生の旅…
「これが人生か…されば、もう一度!」(byニーチェ)
だとすれば、あのメロディは正しい。
終わりがなく、繰り返して続いていくイメージ…
英陸は好きな曲調ではないけれど、「光のありか」を聞いて以来、
頭の中で繰り返し、繰り返し、あの曲がぐるぐる巡って頭から離れない…
あの曲は正しかったのだ
どれだけ遠くても
行く先はただ信じてきた
どこまでも青くいつまでも続く
空を探して
でも、その繰り返しの中に喜びもある…それが光
たとえ、BLで優勝しても、ひょっとしてCLで優勝しても…
それこそワールド・カップで優勝しても、あちゅとの夢は終わらない。
ほんとうの夢は はじまりが続くだけ…
あちゅとは知ってるんだ、そのことを…
心はどうしても
光のありか知りたくて
倒れてもそれで
終わりにはしない
では、あちゅとくんに「夢」という「光」を見せ続けてくれるのは誰か…
<さあ、ここで再び妄想タイム!!>
ケガをしても、挫折しても、努力が報われなくても、監督に干されても、
逆境を受け入れて、新たな光に向かっていく人…
長谷部さんでしょ!
あちゅとくんを理解し、「光」を差し示して、支えてくれる存在…
長谷部さんしかいないっしょ!結局その話かい!
でも、ならば、長谷部さんはなぜ、その「光」がわかるのか。
あきらめることなく、「光」を追い続けることができるのはなぜなのか。
長谷部さんには「光のありか」が見えているのか
あちゅとくん、今度、長谷部さんに尋ねてみましょう。
「ねえ、光はどこからくるの?光のありかはどこ?」
きっと長谷部さんは答えてくれるでしょう。
「それは…おまえだよ…」 って…
がんばれ!内田篤人!!