今日、ブログはじめて、なんか今まで考えてた事が沢山あふれてきて、やたら書いてますf(^_^;
たぶん、そのうち書くことなくなるんでしょうが……
日曜日で暇なんです。
また、時計の話ですが、
20年来、時計の雑誌、ネット情報たくさん読んできましたが、中には「?」といった記事、話があります。
あまり真剣に反論されると困る、つまらぬ話ですが……
よく時計買うとき、それが大金になればなるほど「息子が20になったら譲るつもりで」ってそんな話、何度も耳タコで、いい時計はちゃんとメンテナンスすれば、子、孫まで引き継げるみたいな。
自分も時計好きだから、何の疑問もなく「ちょっと美談めいた」息子に譲る話、有りかなって思ってました。
でも……ふと、考えてみると……
例えば、釣り好きの友人が高い竿買った時に「ちょっと高い買い物だったけど、息子が20になったら譲るつもりだから」って言われたとして、自分はどう思うか。
そもそも、息子も釣り好きなの?
仮に釣り好きでも、オヤジが20年前に買った中古いる?
だったら、息子が20になった時に本人が欲しいの選ばせればいいのでは?
そうです。
時計好きの「息子が20になったら譲る」云々の話って、ただの大金使う時の言い訳にしかならないのです。
そもそも、息子も時計好きとは限らない。
仮に時計好きでも、オヤジが20年前に買った中古いるのか?
だったら、息子が20になって時計欲しいっていうなら、その時に時計屋に連れていって本人に選ばせるのが……息子の為です。
同じく、よく言われるのが「一生もの」
自分は今まで沢山買った時計、いつも「一生もの」のつもりです。
最初から3年後に他の時計買うときの代替え、と思って買う事は絶対ないのです。
ずっと長く使うつもりで買った時計でも、結局、入れ替わり立ち替わり。
結論から言うと「一生もの」というのは、その人にとっての結果論だと思うんです。
高かろうが安かろうが、気に入ってようが気に入っていまいが、結果そのモノが、その人にとって長い年月使っていた、使い込んでもずっと同じモノを使い続けた、っていうのが結局「一生もの」なんだと思います。
結果論、なんだと思います。
なので、雑誌のタイトルでよくある「一生もの」。信じてません。
使いこんで、使いきってから言うべき言葉です。