30歳でアルバイトから正社員になれるのか?

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「不条理な社会人生から自由になる方法」

2025-02-15 19:32:37 | 日記

「不条理な社会人生から自由になる方法(橘玲)」を読んでみて

 

 

感想:あくまで個人の感想です。

具体的には宜しければ「不条理な社会人生から自由になる方法」を読んでみてください。

(個人的にはオーディをブックで聴くととてもスラスラ入ってきておすすめです。)

「不条理な社会人生から自由になる方法」

オーディブル

 

 

色々な情報を知ったけど以下自分なりの要約です

1、日本は隠れた身分制度があるということ

 

2、日本の仕事文化はゼネラリストを作り出すが、それは世界では通用しないこと。

→なぜなら、世界はジョブ型の働き方になっているため。(なぜかというと、それが唯一公平な評価方法だから)

 

3、日本では非正規の扱いは正社員と比べて悪いがそれは日本の労働構造とそこから派生する既得権益を守ろうとすることが原因みたいだ。

→労働構造=正社員を守る文化。経済成長時代に取り入れた仕組みだが、現在はそれによる問題が顕在化してきている。 

→既得権益=左記の労働文化を理由に各々の雇用年数などにより利害関係が生じ、実質的に能力や仕事のスキルを無視した評価が行われている。そしてそれを是正しようとした時、それを「今まで自分たちは会社のために身を粉にしてきたので、これはその権利だ」と反発される構図になる。(俗にいう『働かないおじさん』かな笑)

 

4、日本の労働社会にも反映されている「家」文化

→なんのことかといえば、「家」を1単位と考え、「個人」であることを認めない、評価しない文化。(「家」文化の成り立ちなど詳細は結構難しいので割愛)

→日本の会社は働き手にとって「家」と解釈され、そこにどれだけ滅私奉公できるかで評価が確定されている。(就業時間=出世となっているというデータがある※男女の性差別による出世の違いも就業時間の長さを揃えると実際には無くなるらしく、それについては「へぇー」と思わされました。)

→要約すると、昔の慣習が現在も続いていて、現代のライフスタイルで考えるとかなり非合理的になっている。

→理由:今や多くの企業が数十年も続く保証はなく、必然的に人生100年時代においては何度か転職をすることになる。その時会社の「家」文化に従っていては、1つの会社に自分の人的資産(知識・スキル・経験・人脈など)を全て依存させてしまうことになる。(これは簡単に言うと、どれだけ多くの時間をかけても日本のサラリーマンでなれるのは1つの会社のスペシャリストでしかなく、悲しいことに、それは外のフィールド(他社やフリーランスなど)ではほとんど評価されないということ。)

→まとめると、日本のサラリーマンは「家」の制度に従ってひたすら会社の中で社畜のように働きまくっても、いざ転職をしようとした時、その時点で会社に蓄積してきた人的資産を持ち出すことができずに、実際の自分の市場価値との差で将来困惑させられる可能性が極めて高いということ。

 

対策:

この本を読んでみて、自分も将来悲惨なことにならないようにと対策を考えましたが、私の結論は、昨今のグローバルな労働環境で取り入れられているジョブ型の働き方に合わせて、会社とは関係なく自分で自分の看板を持って働きながら専門スキルを高めていくしかないのかなと思いました。

つまり労働観としては会社に所属するということではなく、自分のスキルを提供して報酬を得ている場所がたまたま今の会社という認識で、要するにある意味自分を自営業者みたいに考えながら会社の中で働くということです。

(一応これは「不条理な社会人生から自由になる方法」の中でも取り上げられている海外での一般的な労働観になります。)

 

 


考えたのだが本は買ったら綺麗に使うより、その本を買うのに使った額以上の価値を得るために汚く使うことも惜しまない方が良いと思う。

2025-02-11 17:06:13 | 日記

理由:よく綺麗な状態で保管した方がいずれ手放すときに購入時の分を幾分か取り戻せる、という発想で本を書き込みなどせず新品同然に扱おうとする考え方もあるが、こういう場合考え方としては本を購入に使った額面分以上の価値で見られていないということではないか?

 

購入に1200円したなら、売却には1000円程度はお金を取り戻したい。←と考えてしまいがち。これはよくある思考だが、お金で価値を測ってしまっている。

 

例えば、ある本が1200円したとしてもその本の内容から1200円以上の価値が得られたら、売値が1000円だろうが、2000円だろうが、結局それよりも本から得た知識や考え方を活かして価格(1200円)以上のリターンが得られれば価格以上に得をしたことにならないだろうか?

 

本は価格以上の価値がある知識が得られるかもしれない投資だという捉え方をしていれば、価格に拘泥せずにそれ以上の価値が得られるかにだけ注目してシンプルな本選びができるようになるのではないだろうか?

※投資とは投入した資産以上のリターンが得られることが期待できるもののこと。

 

 

結論:本を買うメリットは購入時に支払う価格よりもリターンが大きい価値ある知識を得られるか見極められれば、その本を買ったことは間違いなくプラスになる。惜しむらくは全ての本が必ずしも読むに値するものではないことだ。本を読むときは、①読み手が求める知識、②読み手の読書への慣れや習熟度、③本がどれだけ上質の知識を提供しているか(コンテンツが充実しているか)が重要になる。

 

①は読み手が求めている知識を自分で自覚しているかにもよる。表面的には関心があるものがわかっているように思えても、実際は違うものを求めていたという場合もある。これはおそらく「無知(自分が求める知識がどういうものなのかを推論するのに必要な知識や情報が足りていない状態)」が問題なのではないかと思う。

 

②は読書は仮に自分の求める知識がはっきり自覚できたからといって、簡単にできるものではない。本を読むというのは一見受動的(パッシブ)な行為に見えて実際は能動的(アクティブ)な活動だからだ。例えば、自分が求める知識が載っている本を仮に入手したとしても、本の内容全てが必要なわけではない。自分が必要とする部分だけが理解できれば良いのだ。問題はそれが本のどこにあるのかを探し当てるには、本の内容や文脈をある程度理解できる必要がある。ただ読み進めるのではなく読解する努力が必要なのだ。

 読解するには慣れに加えてその本の内容を理解するためにわからない単語や理解が追いつかない事柄があったときにそれを調べる作業が必要になってくる。

 これは本を読む人間ほどこの作業に慣れているため素早く本に対応できるということだ。(※素早くといっても、基本人間の能力には大きな隔たりはないので1冊を5分で完全読破できる最強超人みたいな人がいるというわけではない。(人間の認知能力には限界があるため))

 

③は本が読むに値するかという点についてだ。端的にいうと読む価値がない本は2つあると思う。

 1つは知識としてすでに陳腐化(過去のもので現在は反証)されているものを扱っている場合。これは特に反証可能性という科学哲学がある科学の分野では多い傾向にあると思われる。例を挙げれば「人間の脳は10代をピークに成長をやめ、あとはニューロンが減少していく一方だ」という主張は過去には肯定されていたが、現在は「人間の脳は50歳まで成長を続ける」と言われるように過去の見解が見直される(反対の証明がされうる)ことを意味するなどだ。

 2つ目は自分にとって読む価値がない本だ。これは、既知(すでに知っている知識)が大半を占める本は、新たな知識の学習にはならないということだ。読書量が増えれば必然別の本の中にも自分が知っているものと重複する知識が増えてくる。そういった場合、選書において既知が大半を占める本は新しい知識を得るという観点で考えると読書に値する魅力(自分にとっての価値)が少ないということだ。これに関しては個人の知識量によるところなので、同じ本の価値を評価するときも人によって千差万別になるということだ。

 

※2つ目の点で注意がいるのは、全く未知(自分が知っているものが全くない)の本を選ぶのも危ない。理由は内容が100%知らない本を選ぶと、逆に人はハードルが高くなりすぎて読む気が失せてしまうからだ。

これはいくら読書に慣れている人も同じで、基本的にはいきなり全く門外漢の状態で難解な専門書を読破しようとしたりはしない。

理由は単純で、分からないことだらけだと人はつまらなく感じて読む気が失せるからだ。

当たり前だが専門的な本になる程、まず基本的に専門用語の知識があることが前提で書かれていたりする。だから、自分が読んでいて全く理解できない本に出会った時の賢い選択は、まずは潔くその本は諦めて入門書などから入るということだ。わかりやすい解説が多い本でも、なんだったらそのテーマで漫画化されたものでも構わない。なぜなら、基礎的な知識を先に頭に入れてから本を読んだ方が結果的に早く理解が進むようになるからだ。


苦しむマキシマイザー

2025-02-09 12:49:17 | 日記

どうにも自分は文字に起こすとやたらと掘り下げて熟考してしまいすぎるらしい。

あるポイントでは有用な可能性もあるが、基本的にはマキシマイゼーションの典型的な特性を発揮してしまっているのではないか?

つまりサティスファイザー(満足できれば良い)傾向を意識した方が日常生活では快適であると思われる。

 

マキシマイザー(完璧主義)傾向を発揮することがメリットになる場面は局所的と意識しておいた方が良い。

例えば、特定の専門技術など誤差が致命的な問題を引き起こすようなものはマキシマイザーで良いと思われる。逆に日常の常にリアルタイムで物事が進み移り変わっていく状況ではサティスファイザー傾向を発揮した方がマキシマイザーに比べてかなり有利であると思われる。

 

これはリソース配分の戦略にも絡んでくる。

 

究極の1点に自分の全エネルギーを注ぎ込むのではなく、日常的だけどそこそこ重要な自分の判断に各種適切にエネルギーを割り振って行った方が当然総合的な人生の満足度は高くなる。

 

マキシマイザー傾向が強い、あるいはそれが無意識に発揮されてしまう人はある1面では有利だが多くの事柄が関わってくる満足度などを満たす上では不利になると思われる。

 

逆にティスファイザー傾向がほどほどにあれば、ある程度は拘りつつも完璧ではなく、そこそこの結果で満足できあまった余力を別の関心に注ぎ込むことができる。

 

これは投資で例えると分散投資にあたり、当然極端な大当たりはないが、逆に奈落の底に落ちるようなハズレもなく総合的に良いスコアが狙える戦略だ。

 

(そう考えると、自分は投資では1社の会社の株ではなく投資信託で、しかもインデックスという期待値がほどほどのものを購入して満足しているのに、どうして普段の生活ではこうも1つ1つの事柄を突き詰めようとしているのだろうか?

 

それがまだ部分的であれば悪くはないが、ほぼ手当たり次第にそれをやっては時間がない・・・と苦しんでいるのは、「気がつけば」という感覚から考えてもわかる。やはり集中力や一点突破を目指すべき目標とそれ以外とをしっかり判断できていないことが問題になっている気がする。)

 

 

まず第一に、こうした自分の行動自体を俯瞰したメタ分析はともかく、日常の些細なこと(ある特定の行動はうまくいき、別の行動はうまくいかなかったなど)を一つ一つ仔細に分析することは、それを行う労力(コスト)にメリット(リターン)が釣り合っていないのではないか?(コスパが悪い)

 

自分の頭で考えることはもちろん人生を改善していく上で絶対に必要なことだが、しかし、こうした行動を分析し、熟考の末に答えを出すよりは、まず一段手前の基礎的な部分において科学的に証明されている知識を学んで、それをベースに方法を検討した方が圧倒的にコスパが良いのではないか?(本当に一番楽なのは人間が生まれながら持っている直感(ヒューリスティック)に頼る方法なのだが、それでは考える意味も能動的な改善のきっかけも無くなってしまうので直感だけに頼るのは悩みどころ。)

 

自分に足りないのは知識が有用(自分で熟考するより蓋然性がありコスパが良いもの)であることをもっと意識した方が良いという点かもしれない。

”学習”という知識を身につけるために努力できるのであればだが。


自分の頭で考えた方が良い分野

2025-02-09 12:48:14 | 日記

自分の頭で考えた方が良い分野

計画を立てる、対策を立てる、目的を達成するためのアプローチを考える、優先順位を考える、必要性を判断する、検証が必要な知識、知識として確立されていないノウハウ

 

→自分の頭で考える利点 決断し行動に移せる。検証できること。

 

 

本など知識を学んでそれをベースに考えた方が良い分野

体系化されている技術、合理的結論が出ているノウハウ、認知を拡張する知識や情報、視点に変化を与える知識

 

→知識を学ぶことの利点 自分の頭で論理的に積み上げて結論に達するより、先人の知恵を借りることで早いスピードでそれに到達できる。(あくまで知識を学び、それを参考にし、自分で結論を出す=そういう意味では、知識を学ぶことと自分の頭で考えることは両方にフィードバックを与え合う関係で逆にどちらも損ねてはいけない要素のような気がする。)

 

 

行動分野(アウトプット)?

行動することで自分は学習した知識や自分が出した結論をアウトプットすることができ、その結果のフィードバック(答え)をもらうことができる。

行動の大切さは知識や自分の結論の正当性や有効性を検証し、返された結果をもとにどのように改善すべきかのヒントを与えてくれる。

知識や自分の判断を現実に応用するための実験であり、最後にこれを行わないとどれだけ学んでも、考えても意味のないものになってしまう。