共感の効果について気づいたこと
共感というのは、相手の話にただ同調することだったり、話を合わせることではない。
共感することで、話に共感してもらえた相手に自分のことを知ってもらう機会にもなる。
要するに話に共感してもらえた相手から見た時、(あ、この人はこの話の時の私の心情をわかってくれるんだ)と相手は感じると共に(この人はこの部分では自分と同じ感じ方をする人なんだ)と自分の人間性についても潜在的に理解され、
共感してくれた人を知るきっかけにもなっている。
人とのコミュニケーションによって関係性を深めていくのにおいて、相手のことをどれくらい知っているかというのは重要な要素だと思う。
なぜなら、人はよく理解している人に好意や信用を感じるからだ。
例えば、自分が何か相談事があった時に、よく知っている人と、あまり知らない人の二人がいた時にどっちの人に相談したいと思うだろうか?
よく知っている人に相談したくなるのではないだろうか?
これは「ザイオンス効果」とも言われ、人はよく知っている人やものに対して好意や親近感を持つというものだ。
要するに、今回の例では、「よく知っている人」と「あまり知らない人」の2人ではよく知っている人の方に好感が湧きやすく、相談相手に選びたくなるということだ。
まとめると、学校でも社会でもコミュニティの中で「共感」を示すというのは大切な隠れたシグナルの一つだということに自分は気がつくことができた。
(私事:今回の記事を書いたきっかけが、現在コンサルティングを依頼しているとある人とのやり取りで、その人が事務的な態度であまり自分に共感してくれる様子を見せてくれないのがきっかけで、相手のことがいまいち信用しきれないと感じたことが始まりだった。
結論、やり取りした結果、確かにその人は誠実で、論理的で、信頼できる人のはずなのだが、自分は頭では能力面(ハード面)でその人のことが信用できると理解してても、ソフト面では信頼できていなかったのだな、ということに気づくことができた)
◯まとめ
相手の話に「わかる」「確かに」「自分もそう感じたことがある」と返すのは、相手の話に理解を示し、同時に相手に自分のことを潜在的に知ってもらい”近しい存在”と認識してもらう上で、やはり"共感"というのは重要なやりとりになるのだなーっということ。
◎おまけ
(別のあるコミュニケーション術では共感とはちょっと違うけれど相手の話を聞いた時、それに「類似する話」を自分が返すのも、好感を高め、コミュニケーションを円滑にするのに効果があるというのもある。(確かメンタリストDaiGoが昔就活生に向けた公演で、受かるには面接官とどれだけ雑談ができたかが鍵、という説明の時に聞いた話でした。)
これも共感と同じように一部分でも類似する話をすることで、どうやら相手から自分を近しい存在だと認識してもらえる効果があるみたいだ。なので、もし相手の話が単純に共感するのが難しい場合は、ぜひ適当な噂話でも多少こじつけでもなんでもいいので、相手の話しと近い話を切り出してみてほしい。「あ、確かに自分もちょっと違うんだけどこんな話聞いたことがあって・・・」みたいな感じで。自分もほとんど内容かすっていないなーと思いながらもたまにやっていますw)
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