理由:よく綺麗な状態で保管した方がいずれ手放すときに購入時の分を幾分か取り戻せる、という発想で本を書き込みなどせず新品同然に扱おうとする考え方もあるが、こういう場合考え方としては本を購入に使った額面分以上の価値で見られていないということではないか?
購入に1200円したなら、売却には1000円程度はお金を取り戻したい。←思考としてはこれだが、お金で価値を測っている。
本が1200円したとしてもその本の内容から1200円以上の価値が得られるのだとしたら、売却で1000円得られようが上手く売れて2000円になろうがたかがしれている部分に注目するのではなく、その本から得た知識や考え方を活かして1200円の出費以上のリターンを獲得できれば損することにはならない。
本は価格以上の価値がある知識が得られるかもしれないツールであるという捉え方をしているのであれば、本を買ったときの金額に拘泥せず購入に支払った出費以上の価値が得られるかにだけ注目すれば良いのだ。
結論:本を買うメリットは購入時に支払う価格よりもリターンが大きい価値ある知識を得られるか見極められれば、その本を買ったことは間違いなくプラスになる。惜しむらくは全ての本が必ずしも読むに値するものではないことだ。本を読むときは、①読み手が求める知識、②読み手の読書への慣れや習熟度、③本がどれだけ上質の知識を提供しているか(コンテンツが充実しているか)が重要になる。
①は読み手が求めている知識を自分で自覚しているかにもよる。表面的には関心があるものがわかっているように思えても、実際は違うものを求めていたという場合もある。これはおそらく「無知(自分が求める知識がどういうものなのかを推論するのに必要な知識や情報が足りていない状態)」が問題なのではないかと思う。
②は読書は仮に自分の求める知識がはっきり自覚できたからといって、簡単にできるものではない。本を読むというのは一見受動的(パッシブ)な行為に見えて実際は能動的(アクティブ)な活動だからだ。例えば、自分が求める知識が載っている本を仮に入手したとしても、本の内容全てが必要なわけではない。自分が必要とする部分だけが理解できれば良いのだ。問題はそれが本のどこにあるのかを探し当てるには、本の内容や文脈をある程度理解できる必要がある。ただ読み進めるのではなく読解する努力が必要なのだ。
読解するには慣れに加えてその本の内容を理解するためにわからない単語や理解が追いつかない事柄があったときにそれを調べる作業が必要になってくる。
これは本を読む人間ほどこのプロセスに慣れているため素早く本に対応できるということだ。(素早くといっても、基本人間の能力に大きな隔たりはないので1冊を5分で完全読破できるとか極端に差が開くというわけではない。人間の認知能力には限界があるからだ)
③は本が読むに値するかという点についてだ。端的にいうと読む価値がない本は2つあると思う。
1つは知識としてすでに陳腐化(過去のもので現在は反証)されているものを扱っている場合。これは特に反証可能性という科学哲学がある科学の分野では多い傾向にあると思われる。例を挙げれば「人間の脳は10代をピークに成長をやめ、あとはニューロンが減少していく一方だ」という主張は過去には肯定されていたが、現在は「人間の脳は50歳まで成長を続ける」と言われるように過去の見解が見直される(反対の証明がされうる)ことを意味するなどだ。
2つ目は自分にとって読む価値がない本だ。これは、既知(すでに知っている知識)が大半を占める本は、新たな知識の学習にはならないということだ。読書量が増えれば必然別の本の中にも自分が知っているものと重複する知識が増えてくる。そういった場合、選書において既知が大半を占める本は新しい知識を得るという観点で考えると読書に値する魅力(自分にとっての価値)が少ないということだ。これに関しては個人の知識量によるところなので、同じ本の価値を評価するときも人によって千差万別になるということだ。
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