おふくろが昔、一番好きな小説家は山本周五郎であり、「私が死んだら遺言だと思って山本周五郎を読みなさい」ぐらい言われていたので、本を読むようになってからは何冊か山本周五郎も読んでいます。
大河ドラマになった「樅の木は残った」は難しくてあんまり好きじゃなかったが、「青べか物語」は良かった、あと短篇集はかなりいいです。
で、何度もドラマ化している「赤ひげ診療譚」を先日読みました。
ちなみに、ワンピースで白ひげと赤犬が戦ってるとか、赤髪がかっこいいとかそういうのを基準に選んだわけではありませんので。
この小説は、蘭学か何かを学んできた青年が、小汚い診療所に預けられるが、そこの先生、通称赤ひげに次第にひかれていく物語。
何度もドラマ化と言っても俺が見たことあるのは田原俊彦バージョンのみだったので、妄想上の配役もそれに準じた感じで想像していたがちょっと不自然でした。
小説を読んでみると、意外に精神科の病気が多いし、対応方法もいろいろ研究したらしいですね。
始めは嫌な奴だった主人公が、自分の未熟を知り、嫌いな制服に身を包むようにもなり、色々な問題を悩むようになり、いつしか人に説教できるまでになっていく。
そして、自分を裏切った恋人のことも乗り越え、様々なことを学んだ診療所を好きになっていくわけで、
そういう人が変わっていくところがとてもいい感じでした。
特に、主人公の成長を促し、変化を喜んでくれるおじいちゃんがいたりして、そういう存在がいるのってありがたいなと思った。
でだ、この小説の中で気になっている言葉があるんですが、
一家心中をして、生き残った母親が言った言葉。
(引用開始)
「生きて苦労するのは見ていられても、死ぬことは放っておけないんでしょうか」
「もしあたしたちが助かったとして、そのあとはどうなるんでしょう、これまでのような苦労が、いくらかでも軽くなるんでしょうか、そういう望みが少しでもあったんでしょうか」
これに対して、ごまかしのない答があるだろうか
(引用終了)
この「ごまかしのない答」って奴をずっと考えているんですけどね。
答えなんかなくても「つべこべ言わずに、生きろ」としか言えない。
恐らくは、自殺する騒ぎを起こす前に苦しんでいることに気づいて欲しい、ってことなのかな、とも思うのですが、
俺は友達が自殺した時、心配はしていたけどまさか自殺するほど苦しんでいたとは、という感じだったから
まあ何かできることはあったなとも思うけど、ここで自分を責めると他に周りで自殺があった人も自分を責めなきゃいけないのかとなると、やっぱりそれもおかしい。
まああの時のつらさを忘れず、自分としてはもっと人と深く関わろうとするようにしています。
ちなみに、この観点で行くと、小説の後の方にある言葉。
(引用開始)
見た眼に効果のあらわれることより、徒労とみられることを重ねてゆくところに、人間の希望が実るのではないか。おれは徒労とみえることに自分を賭ける、と去定は云った。
――温床でならどんな芽も育つ、氷の中ででも、芽を育てる情熱があってこそ、しんじつ生きがいがあるのではないか。
(引用終了)
これがもしかしたら周五郎なりのANSWERなのかなとも思う。
自殺したい人がこれを聞いて響くのかどうかなんか分かりませんが。
まあ、もし死にたいとか苦しいとか思う人がいるならば、こういうのに限らず何か本とか、新聞とか読んで欲しいなと思いますね。
それで答えやヒントが得られないこともあるだろうけど、苦しいのが自分だけじゃないことだけでもわかるだろうし。
ちなみにおふくろに「赤ひげ読んだぜ」と報告したら、それについては何も言わずに「一揆に行く若者をおじいさんが桜のたとえをひいて諭す小説がオススメ、恐らく長い坂」という返答。あと短篇集がいいんだそうです。
せめて内容について話でもさせて欲しいものだった。
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